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2021.03.09
疫病退治や悪魔祓いなどのご利益がある獅子舞は全国、そして福島県内にも数多く存在しますが、ここ大熊町で受け継がれている「熊川稚児鹿舞(ししまい)」は継承の危機に瀕しています。江戸時代から続き、熊川地区の家の男児が受け継ぐ伝統芸能の現状と歴史的な価値についてご紹介します。
中国伝来、日本発祥と諸説ある獅子舞ですが、大熊町の「熊川稚児鹿舞」が書籍に登場したのは200年以上前の天保年間。熊川地区が凶作や疫病に襲われ、家庭不和が相次いだとき、地区の鎮守である諏訪神社に「鹿」に扮して舞を奉納したことに由来するといわれています。現在は獅子の面になっているものの、当時の面影を残して鹿に似せた角をつけているのがこちらの獅子舞の特徴です。
踊り手となる舞方と、笛や太鼓などの囃子(はやし)方で構成される「熊川稚児鹿舞」は、諏訪神社氏子の8~14歳くらいまでの長男4名が鹿役を演じ、ほかに猿の顔の面を付けた野猿役1名で構成され、笛、太鼓や唄に合わせて舞うのが特徴。この舞が5分間の休憩を挟んで1時間と長時間に渡って演じられます。
舞方の対象となるのは熊川諏訪神社の氏子(熊川稚児鹿舞保存会)で、その数は60戸。舞方は4年務めると次の舞方へ受け継がれるのが通常です。しかし、震災により大熊町民が福島県いわき市や会津若松市などをはじめ、福島県の内外で避難生活を送っているなか、一部地域で避難指示が解除されたとはいえ、震災により氏子が町外に散り散りとなった現在では、稚児鹿舞を継承するのが難しい状況にもあります。
戦時中も中止することなく開催していたという「熊川稚児鹿舞」。震災による津波で失われた稚児鹿舞で用いる獅子頭や太鼓、道具、衣装などは文化庁や福島県、大熊町などの補助を受けて復元が図られ、福島県内外に避難している大熊町民らで構成される保存会が継続に向けた活動はされています。
一方で現状は全員が集まって練習するのが難しく、特に子どもが参加するのは難しいため、伝統継承の一つの案として、当分の間、子どもが担っていた舞方を、幼いころ、舞方を経験した大人が務めていくことを検討しているそうです。加えて、このような状況下で保存会の指導者らの高齢化も進んでおり、存続とどうように継承も難しい状況にあります。
2014年7月20日には、会津若松市の長原応急仮設住宅で「おおくま・甲和会合同夏まつりin長原」が開催され、この時、4年ぶりに復活した「熊川稚児鹿舞」。引き続きこの伝統芸能が福島の文化として残るかどうかは地元はもちろん、福島県ほか多くの方の現場理解と周知が必要といえます。
地元の危機を救った氏神の舞がベースとなる「熊川稚児鹿舞」が、復活し、継承されることが復興に向けた心の拠り所となり、後押しとなることは間違いありません。数ある獅子舞のなかでもユニークな「熊川稚児鹿舞」がもつ意義と背景を一人でも多くの方に知っていただき、後世に残すことの意味は大きいはずです。
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