【南相馬市】国指定重要無形民俗文化財の祭り「相馬野馬追」とは?

2021.01.26
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3日間で総勢200,000人が訪れる南相馬市の「相馬野馬追」。鎧姿に身を固め、帯刀した500騎余りの騎馬武者が旗指物を背負って疾走する迫力ある姿を見に、全国のファンが訪れる福島県を代表する伝統のお祭りです。人々はなぜ、このお祭りに魅了されるのでしょうか。相馬野馬追がどんなお祭りなのかその魅力に迫ります。

 

由来は平将門?1,000年の歴史を持つ福島県を代表するお祭り

もともとこの「相馬野馬追」は、「相家故事秘要集」という書物によれば、遡ること1千有余年前、鎌倉開府前に相馬氏(行方郡:現在の南相馬市を領土のひとつにした)の遠祖である平将門が、領内の下総国相馬郡小金原(現在の千葉県松戸市)に野生馬を放し、敵兵に見立てて軍事訓練をした事が起源と言われています。

その後、平将門の子孫で六代目の信田重国が下総国相馬郡に移り、改姓し相馬氏を名乗るようになり、本家筋である千葉常胤の次子、相馬師常を養子に迎えて相馬氏が再興。そこからは、平将門の例にならい、下総国相馬郡小金原で毎年5月の申の日に野馬追を行なうようになったと伝わっています。なお、この相馬師常は、野馬追を定期的に行なったことが功を奏したためか、鎌倉四天王のひとりとして武名を知られるようになり、その後に陸奥国行方郡を拝領し、現在の陸奥相馬氏を築くに至っています。

相馬野馬追が開催されて、現在に至るまでの1,000年の間には、飢饉や震災などにより、都度、規模を縮小するなどしながら続いてきましたが、それでも多くの人を魅了してきたこの伝統的なお祭りはいったいどんな内容なのでしょうか。

 

迫力満点! 放たれた野馬を神社境内に追い込む「野馬懸」

このお祭りは現在では7月最終週の土曜日、日曜日、月曜日の3日間にわたって開催され、神事を土日に、お祭りを月曜日に開催します。
*ただし、7月最終週の土曜日に開幕すると8月上旬にまで日程が及ぶ場合は、祭りを前週に繰り上げて開催する

 

1日目

出陣式
相馬中村神社や相馬太田神社、相馬小高神社の相馬三妙見神社で出陣式が執り行われ、御本陣である主会場の雲雀ヶ原祭場地へと出陣します。

総大将お迎え
北郷の陣屋には副大将や侍大将、副軍師がおり、軍者をはじめとする各役付武者や螺役などが整列して総大将を迎えます。総大将訓示の後に、御本陣である雲雀ヶ原祭場地に進軍します。

2日目

お行列
500余騎の騎馬武者達が、甲冑に身をかため、太刀を帯び、先祖伝来の旗指物を風になびかせながら3キロメートル先の御本陣である雲雀ケ原祭場地を目指し進軍します。

甲冑競馬
正午になり、陣螺・陣太鼓が鳴り響くと、兜を脱ぎ、白鉢巻を締めた騎馬武者が、砂埃舞う中を人馬一体となり先祖伝来の旗指物をなびかせて疾走します。

神旗争奪戦
昼過ぎ、陣螺を合図に数百騎の騎馬武者達が集結し号砲一発、御神旗めがけて突進。御神旗を手中に収めた騎馬武者には、その武勲を称え惜しみない拍手が送られます。

 

3日目

野馬懸
野馬追古来の姿を現在に残す行事で、放たれた野馬を神社境内に追い込み、白装束の御小人が素手で神馬を捕らえ神前に奉納する神事が行われます。

帰り馬(原町区以外)
原町区の中ノ郷勢以外の4隊は、騎馬行進を行いながら地元に戻ります。

500騎余りの騎馬武者を集める行事は、現在では国内唯一。その迫力は映像よりもぜひ、実際にめにしていただきたいです。きっと、この行事の虜になるはずです。

 

「相馬野馬追」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

1,000年のもの間、多くの人々によって続けられてきたたこちらの行事は時代を超えて、今なお観る者に感動を与え続けています。歴史好きはもちろん、機会を見つけてぜひ直接ご覧になってみてください。

 

「野馬懸」の歴史、文化的な価値、魅力

・飢饉や震災などに見舞われても、都度、形を変えて1,000年以上続いてきた行事
・国の重要無形民俗文化財に指定されている由緒正しき神事である

ふかしま。
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