【川俣町】古関裕而が愛した街・川俣町ってどんなところ?

2021.01.07
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国営放送の朝のドラマでも取り上げられた福島県を代表する作曲家である古関裕而氏。「高原列車は行く」「栄冠は君に輝く(全国高等学校野球大会の歌)」など、氏が残した曲は5千曲にも及ぶと言われており、いずれも気品ある格調高い曲は現在でも愛されています。この古関裕而氏が福島県・川俣町と深い縁があることをご存知でしたか? 今回は古関裕而氏と川俣町の繋がりから作曲のルーツに迫りたいと思います。

 

古関裕而が愛した当時の山に囲まれた静かな川俣町とは

 

まずは古関裕而氏と福島県の繋がりについて紐解いていきたいと思います。

 

後の大作曲家である古関裕而氏が生まれたのは明治時代から大正時代にさしかかる1909年。福島県福島市大町の呉服店「喜多三」の長男として生を受けた氏は、音楽好きの父が当時は珍しかった蓄音機を購入。そこから流れるレコードの音を耳にしながら育ちました。その影響からか、早くから独学で作曲の道を志します。なお、近所には後に作詞家となって古関裕而氏とコンビで数々の名曲を生み出す野村俊夫(本名:鈴木敏夫)氏が住んでいます。このことも後に古関裕而氏が作曲家となる上で重要な要因だったといえるでしょう。

 

1916年、7歳のときに福島県師範学校附属小学校(現福島大学附属小学校)へ入学。10歳の頃には楽譜が読めるようになり、その後、市販の妹尾楽譜を買い求めるようになり、ますます作曲に夢中になります。当時、クラスメイトがは各々が詩を作って古関に作曲を依頼していたそう。このような経験から、子供の頃より作曲に親しむこととなったそうです。

 

1922年には旧制福島商業学校(現福島商業高等学校)に入学。常にハーモニカを携帯し、学業より作曲に夢中な日々を過ごしていた古関青年は、妹尾楽譜や山田耕筰著の作曲法等を買い集め、独学での作曲法の勉強を続けていたようです。転機は年に2回行われていた校内弁論大会で、ここでハーモニカで音楽をつけることになり、書き溜めていた曲を合奏用に編曲して大勢で演奏。初めて自分の作品が多くの人に披露されたそうです。

 

学校を卒業する頃には、福島ハーモニカーソサエティーに入団。この頃、地元の音楽仲間が主宰していた近代音楽家のレコードコンサートで近代フランス、ロシアの音楽に出会い傾倒。以降、このレコードコンサートには頻繁に通っていたそうです。いよいよ、福島商業学校を卒業すると、母方の伯父の誘いにより、伯父が頭取を務める川俣銀行(現東邦銀行川俣支店)に勤務。町内の寄宿先である、母の生家(いとこの実家)から通勤する一方で、作曲の勉強を続けていたそうです。

 

その後、管弦楽作品の懸賞への応募などを経て、レコード会社へと勤務するわけですが、多感な青春時代、その感性を磨き、その後の大作曲家の土台を作ったのが福島県であったのは言うまでもありません。

 

 

古関裕而の軌跡を追う、川俣町のゆかりの地

 

福島県文学全集にある「作曲を志す町(古関而 著)」のなかで氏は高校卒業後の作曲の拠点となった川俣町をこう表しています。

 

目が覚めるとまず裏庭から鶏の声が聞こえ、向かいの鍛冶屋の槌(をさ)の音が響いてくる。私にとって川俣の朝の音楽である。やがて町のあちこちから筬の音が響き出してくる。(省略)伯父の家の向かい側に舘の山という小高い山があって、よく登っては白秋の詩等を読んだり、作曲したりした。私のメロディーは福島と川俣の風光から生まれたのだ。私はこのような静かな町が大好きである

 

ちなみに上記、文中にある槌(をさ)とは織物の縦糸をそろえ横糸を押し詰めて織り目を整えるための、織機の付属具。当時の川俣町は「絹織物の町」と呼ばれるほど絹産業が盛んで、昭和初期には輸出用の「羽二重」が全盛を誇り、世界一の絹織物の産地として名を馳せていました。その後、ナイロンが登場するまで「川俣の絹が女性の足を包んだ」とまで言われていたようです。

 

古関而氏を育み、作曲の原点となった川俣町とはどんな町なのか。当時のゆかりの地にして現存するスポットをご紹介します。

 

スポット1

仙臺屋(せんだいや)呉服店にあるオルガン

昭和初期、古関裕而氏が使用したオルガンがあります。なお、今でも当時のままの音色を奏でるそうです。

 

住所  : 福島県川俣町字瓦町 14 番地

見学時間: 10:00 〜 18:00

定休日 :毎月7日、17日、27日

電話       : 024-566-2111 (川俣町産業課商工交流係 8:30~17:15)

入場料 :無料

*見学の際は事前に川俣町産業課商工交流係へのご連絡が必要です

 

スポット2

舘ノ山

川俣銀行に勤務時代、ひと仕事終えた後、川俣町を一望できるこの山へ好んで登ったそうです。この地で作曲の構想をねったり、後の妻となる金子(きんこ)さんへの文通を書いていたと言われています。

 

スポット3

広瀬川

古関裕而氏が散策したスポットであり、今も昔も川俣町の代名詞ともいわれる川です。当時にもあった蔵の佇まいは一見の価値あり。

 

スポット4

道の駅かわまた銘品館シルクピア

道の駅かわまた銘品館シルクピアは、令和2年6月19日にリニューアルオープンし、新たに情報発信コーナーを設けました。

※エール展は、令和2年12月27日(日曜日)で終了しています。

まとめ 「古関裕而」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

 

いかがでしょうか。後の大作曲家を育んだ福島県、そして作曲の土台となるおよそ2年を過ごした川俣町を訪れ、ぜひ、古関裕而氏の当時の足取りをなぞり、思いを馳せていただければと思います。

 

古関裕而と川俣町のゆかり」の歴史、文化的な価値、魅力

・生涯で5千に及ぶ曲を作曲、現在でも数多くの作品が愛されている古関裕而氏が本人の口より「私のメロディーは福島と川俣の風光から生まれたのだ」と言わしめる魅力的な風土

・現在も当時のゆかりのもの、場所が多く残る

ふかしま。
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ふかしま。編集部
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