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2021.03.09
「安寿と厨子王丸」というお話をご覧になったことはありますか? 仲の良い品行方正な姉弟がその身を買われた後に起こる悲劇と復讐のお話で、中世に成立した説経節「さんせう太夫」を原作とした浄瑠璃などの演目で演じられてきたものを子供向けに改変したもの。森鴎外の小説「山椒大夫」伝説に登場する姉と弟であり、その他、関連映画や小説が多数存在します。日本中に伝わるこの悲劇のお話と福島県・広野町の繋がり、歴史的な背景などについてご紹介します。
まずは「安寿と厨子王丸」をご覧になったことがない方に向けて簡単にあらすじをご紹介します。
人買いに攫われ、山椒太夫に買われた姉の安寿姫と弟の厨子王の2人は、山椒大夫のもとで酷使されました。この状況を打破すべく、姉の安寿姫は弟・厨子王丸を逃がすよう画策、自身は山椒館の近くの沼に身を投げてなくなりました。丹後の国分寺に逃げ込んで寺僧に助けられ、やがて出世した厨子王丸は山椒太夫を殺して姉の仇を報じ,父母にも再会するというのがこのお話の筋です。
姉が身を捨てて弟をかばう、悲願が成就するという物語は時代を超えて多くの人の心をとらえ、中世から近世にかけて説経節、浄瑠璃(じょうるり)、歌舞伎(かぶき)などに取り入れられたほか、近代では森鴎外の短編小説「山椒大夫」、さらに森鴎外の小説をもとにアニメーションが劇場公開されました。また、1954に実写化された映画は、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得。世界的に有名な映画がこの映画のラストの海のシーンを再現するなど、国内のみならず、海外でも高い評価をされています。
日本のみならず、海外からも評価されるこの物語ですが、実は歴史上では安寿や厨子王丸の実在を示す資料はなく、架空の伝説であるという説が有力です。どのようにこの話が生まれたのか、そこに当時の歴史的な背景があったことは無視できないでしょう。
中世の日本では、権力者の領地であった荘園から農民が集団で土地を放棄して逃亡する逃散や、脱落したりで浮浪化した者を、所から散った民、とから「散所の民」と呼んでいました。一方でこれらの人々を金で買ったり力ずくで拉致して利益を得た者を「散所の大夫」と言いました。この現実をそのまま描くよりも、没落した貴人の運命の悲劇を織り込む方が聞く者に強い印象を与え、効果的であるということから安寿と厨子王丸の物語が成立したのではないかと言われています。なお「山椒大夫」の名の由来については、由良・岡田・河守の3ヶ所の庄(荘)を領していたためとも言われています。
この通り、歴史的な背景を踏まえたフィクションであるわけですが、青森ほか東北では伝承地、ゆかりの地が多く、福島県・広野町もその一つ。残念ながら現在では台風の被害によりなくなってしまったものの、物語中で安寿と厨子王丸の乳母である竹女が二人を失った責任を感じて、海に身を投じた後に大蛇となって絡みついたといわれる「日の出の松」があります。こちらはその名の通り、日の出時における背景との美しさと、曲り松として優美さから、「尾上の松」「高砂の松」とともに日本三名松の一つに数え上げられており、「安寿と厨子王」伝説との結び付きから、陸前浜街道沿いにおける名所となっていたそうです。
残念ながら現在は根のみが残され、当時の実物を目にすることはできませんが、周辺の綺麗な海岸線を散策しながら、安寿と厨子王の伝説に思いを馳せてみるのも良いと思います。
日本人の心を掴み、さらには海外からも評価される物語展開、古くから日本に伝わる伝承昔話としての価値は高い「安寿と厨子王丸」。この話に興味をもった方はぜひ、この物語が生まれた背景、舞台となる風景を堪能していただければと思います。なお広野町にはそのほか、源頼義とその長子である義家の伝説が残る五社山や、とんぼのぬがねの作詞で有名な額賀誠のゆかりの地などもあるので、ぜひ歴史散策に遊びにいってみてくださいね。
・古くから日本に伝わる伝承昔話であること
・福島県・広野町にそのゆかりの地「日の出の松」が存在する
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