【浪江町】元禄年間から愛され続ける伝統工芸「大堀相馬焼」の魅力とは

2021.01.25
浪江町 #半谷休閑#名産・グルメ#大堀相馬焼#浪江町#相馬藩#相馬野馬追

「大堀相馬焼」とは、浪江町大字大堀の一円で生産される焼物の総称で、江戸時代の元禄年間からの歴史を有しています。江戸時代末期には窯元も100戸を超え、販路も北海道から関東一円、更には信州越後方面まで広がり、一大産地へと発展を遂げました。その後に藩の援助がなくなったことなどにより衰退しましたが、現在は地元の取り組みにより再び脚光を浴びています。「大堀相馬焼」とはどんなものなのか紹介したいと思います。

 

相馬藩の援助や保護教育によって江戸時代末期には100軒近い窯元が誕生

元禄年間に、相馬中村藩士の半谷休閑が大堀(現在の浪江町大堀)で陶土を発見、下男の左馬に命じて日用雑器を焼くようになったのが「大堀相馬焼」の始まりです。

当時、浜通り北部を領していた中村藩は相馬野馬追の伝統を有しており、藩主相馬氏の家紋から繋ぎ駒や走り駒が意匠となっており、縁起物として好まれていました。この相馬駒焼が藩主相馬氏への献上品とされたのに対して、「大堀相馬焼」は大衆向けの民窯として親しまれ、中村藩は陶磁器を特産物として奨励、産地に瀬戸役所を設置して、資金の援助や原材料の確保など保護育成に努めま江戸時代末期には100軒近い窯元が誕生し、中には農作との兼業、副業として「大堀相馬焼」をつくる人も増えていたそうです。

その後、明治期に入り、廃藩置県により相馬藩の援助がなくなったことに加え、交通の発達による他産地との競合激化、さらには戦争による大きな打撃と、太平洋戦争の終結時まで大堀相馬焼」は一時衰退。冬の時代を迎えました。

しかし第二次世界大戦後に再興し、1978年には国の伝統的工芸品の指定を受け市場は国内はおろかアメリカにまで広がり、「アイディアカップ」、「ダブルカップ」という名称で愛用されるにまで発展しました。なお蛇足ですが同じく地元の名産・なみえ焼きそばから連想されたと言われています。

 

「大堀相馬焼」にしかない二重焼という技術

今や国内はもちろん世界にも知れ渡る「大堀相馬焼」には以下のような特徴があります。

 

1 青ひび

鈍色の器面に広がる不定型なひびのことで、鉄分を含んだ釉薬を用い、還元炎焼成後に冷却するために生じます。その後、このひびに墨を塗り込むために黒く見えます。

 

2 走り駒

走り駒とは疾駆する馬のことを言い、「大堀相馬焼」の特徴でもある意匠となっています。

 

3 二重焼

「大堀相馬焼」の特徴のひとつが湯呑みは冷めにくいこと。この原理に相当する技術で、ろくろによる成形の段階で、外側と内側を作っておき、焼成前に被せることで行われます。ちなみにこの技術を用いた焼き物は「大堀相馬焼」以外にはまず見られないものだそうです。

 

もちろん当時の器だけでなくマグカップほか、現在の生活スタイルにあわせたものも販売されていますが、その他、ファッションブランドのBEAMS JAPANとコラボレーションしてぐい呑みを販売したり、美術大学から陶芸を志すインターン生などを受け入れるなど、現在も、大衆向けの民窯として積極的な取り組みがなされています。

 

まとめ 「大堀相馬焼」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

江戸から続く伝統をしがらみではなく紡いでいくものとして、積極的に、現在の生活に溶け込ませるようとする努力が「大堀相馬焼」の作り手、そして浪江町からは感じ取れます。古くから愛されるこの大衆向けの民窯、見かけた際はぜひ手にとってお土産としてご購入ください。

 

まとめ

・元禄年間から続く、地元の名産品である
・二重焼や他の焼き物ではみられない「大堀相馬焼」だけの技術である

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ふかしま。編集部
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