【福島の歴史】「安積流水」が切り開いた明治時代の福島県

2021.01.26
歴史 #会津戦争#会津鶴ヶ城#大久保利通#奥羽越列藩同盟#安積流水#明治時代#歴史

福島県の明治時代は戦乱に始まり、会津戦争の悲劇や磐梯山の大噴火など、痛ましい事件が多くありました。一方で、希望に満ちた事業が行われたことは地元の人々以外にはあまり知られていません。そして、その事業計画はかつての敵だった大久保利通によって提案されたものでした。

 

不平士族の憤りを洗い流す国土開発計画

明治元年、福島県はその全域に硝煙の匂いが漂っていました。奥羽越列藩同盟と新政府の軍事衝突は、市街、街道、峠、山中と至るところで発生し、会津鶴ヶ城が陥落することでようやく沈静化しました。翌年、全国の大名は版籍を朝廷に奉還し、その見返りに華族に列せられます。そして、これより地方統治は、非世襲制の知事によって行われることになりました。ここに日本の封建時代が幕を閉じ、近代が幕を開けたのです。

それからまもなく、藩の廃止と中央によって管理される県の設置、いわゆる廃藩置県が行われます。福島県内には11の県が当初設置されましたが、2度の統合を経て明治9年に現在の福島県が成立しました。

このように国家の近代化が急激にすすめられていく中、その変化を受け入れられない人々もいました。その多くは、かつて武士という身分だった人々です。四民平等による、俸禄の撤廃、廃刀令、徴兵制の導入など、これまであった武士の特権が新政府に奪われていきます。それらは、彼らは生活基盤やその思想、文化、アイデンティティと密接に関わるものであって、それを奪われることは絶対に受け入れられないと考える者が多くいました。

新政府内でそれらの施策を推し進める大久保利通らと対立し、西郷隆盛や板垣退助、江藤新平らが下野した、「明治6年の政変」も士族の不満を煽りました。下野した西郷らが唱えた「征韓論」は、いってしまえば不平士族たちが「やりたい仕事」を作り出すためのものでもありました。期待していた西郷らが下野するということは、不平士族にとって新政府内は完全に敵になったということを意味していました。

江藤が下野して帰郷すると、間を置かずして佐賀の乱が発生します。明治9年には、廃刀令をきっかけに神風連の乱、秋月の乱、萩の乱が連鎖して発生。いずれも鎮圧されますが、これが翌年の西南戦争へと繋がっていきます。そして、これらの不平士族の反乱を鎮圧したのは、徴兵された鎮台兵でした。近代化した庶民の軍隊が、旧来の武士を鎮圧すること。それは、奇しくも武士の時代の終わりを告げることになりました。

幕末、坂本龍馬は仕事がなくなった士族に蝦夷地の開拓を担わせるプランを持っていたといいます。そして、ともに幕末を駆け抜けた多くの同志を失った大久保利通も、士族のための仕事をつくる重要性を痛感していました。西南戦争の翌年、大久保は7つの国土開発計画書を提出します。『一般殖産および華士族授産の儀』と題されたこのプランには、福島県内の阿賀野川の整備が含まれていました。これが、この2ヶ月後に不平士族によって暗殺される大久保の、最後の大仕事でした。

 

刀を土木工具に持ち替えて作り上げた「安積流水」

「猪苗代湖の水って、太平洋と日本海どっちにも流れているんだよ」

この話を耳にしたとき、はじめは「何の冗談?」と思いましたが、詳しく話を聞くと事実だとわかり、とても興味深く思ったことがあります。大久保利通が立案し、水運の国・オランダから招かれた技師ファン・ドールンが着工した「安積疏水」は、明治15年に完成しました。

従来、猪苗代湖の水は西側から会津盆地に流れ出て、阿賀野川に合流すると新潟から日本海に注がれていました。一方で、猪苗代湖東側の丘陵地帯を越えた先に広がる安積原野は、干ばつの影響を受けやすい不毛の地で、開拓もされないまま荒廃していました。そこに水路を通すというプロジェクトが立ち上がったのです。

プロジェクトが正式に決定すると、その建設にともなって工事に携わる旧士族の定住募集が行われました。すると、会津藩や二本松藩、米沢藩、棚倉藩といった地元や近隣出身の士族のみならず、久留米藩、土佐藩、松山藩、岡山藩、鳥取藩といった諸藩出身の士族も応募、定住することになりました。その数は約2000人、当時の郡山市の人口が約5000人といわれますので、その4割にもなる士族がこの工事のために移住してきたということになります。

総延長52km 、分水路延長78km、総工費40万7千円(現在の貨幣価値で約400億円)をかけた巨大プロジェクトは約3年の歳月を費やして通水、完成しました。そして、この安積疏水によって、今まで不毛の荒野だった安積原野約 3000haの土地が、肥沃な農地に生まれ変わったのです。広大な水田地帯から採れる米の生産量は、平成の大合併が行われる2005年まで郡山市は市としては全国1位でした。また、明治32年には安積疏水の流れを利用した日本で実質初の水力発電所「沼上発電所」が完成。これは郡山市の紡績、繊維産業の発展に大きく寄与することになります。そして今も安積流水の水は阿武隈川に合流し、太平洋へと注がれています。

郡山市では、大久保利通の業績を称えて大久保神社が建立されました。神社は老朽化により取り壊され、現在は碑石が残されているだけですが、例年9月に「大久保神社の水祭り」が執り行われています。

 

まとめ 「明治時代の福島」不平士族と大久保利通のプロジェクト

刀を土木工具、そして農具に持ち替えた士族たちの尽力によって、福島の地は豊かになっていきました。戊辰戦争では敵だった大久保の尽力に、今も福島の人々は感謝を捧げています。また当時、敵の司令官だった板垣退助は刀を捨て、士族の不満を自由民権運動という別の戦いに注ぎ込むことになりました。自由民権運動は福島県内でも盛んでしたが、次第に激化し福島事件の発生につながっていきます。

 

「明治時代の福島」不平士族と大久保利通、そして安積流水

・明治維新によって武士の特権が奪われると不平が爆発
・不平士族の鎮圧と大久保利通が示した士族が生きる新たな道
・巨大国家プロジェクト「安積流水」の開通が福島県を潤す

ふかしま。
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