【福島の歴史】先史時代から飛鳥時代までの福島県

2021.01.26
歴史 #先史時代#卑弥呼の鏡#歴史#福島#蝦夷#遺跡調査#飛鳥時代

数万年前、まだ福島県という区切りもない頃は、寒暖差や地域差はあっても同じようなスタイルで人々は日本列島で暮らしていました。ただ、大陸から新しいものが入ってくると、徐々に違いがでてきます。そんな文明の最初期、福島に何があって人々はどのような暮らしはどのようなものだったのでしょうか。

 

遺跡調査と記録から見えてくる太古の姿

現在、福島県で見つかっている最も古い人間の痕跡は今から2万7000年前(旧石器時代)のもので、平林遺跡(伊達郡桑折町)から見つかったものです。石器を使って今では絶滅してしまった動物などを狩って暮らしていた様子が伺われるということです。縄文時代は、浜通り側では三貫地貝塚(相馬郡新地町)、上岡遺跡(福島市)縄文遺跡をはじめ、多くの遺跡が確認されています。弥生時代の水田跡は、番匠地遺跡(いわき市)で発見されていますが、籾痕のついた弥生土器や石庖丁など稲作の痕跡となるようなものは県内各地で見つかっています。

さらに時代が下った古墳時代。福島県内にはたくさんの古墳がありますが、他の東北各県と比べても年代が早い古墳が多く、規模も大きい傾向にあります。福島県では亀ヶ森古墳(河沼郡会津坂下町青津)が最大で、会津大塚山古墳(会津若松市)が2位、どちらも古墳時代前期(4世紀後半から末頃)に作られたと推定されている前方後円墳。また会津大塚山古墳では、「卑弥呼の鏡」ともいわれたりする三角縁神獣鏡が見つかった最北限でもあります。前方後円墳に三角縁神獣鏡が副葬されているパターンは、畿内の古墳と共通する特徴。歴史書『古事記』にはっきり登場するのも会津の名前ですし、「伊佐須美神社」の由緒などもあわせると、移住だったのか征服かはともかく会津地方はかなり早い時期からその影響下にあったのかもしれませんね。

『日本書紀』には日本武尊の東征で陸奥国に入った記述があり、白河、棚倉エリアには伝承と共に多くの縁の地が残されています。棚倉にある2つの神社、都都古和氣神社 (棚倉町棚倉)、都々古別神社 (棚倉町八槻)は、どちらも日本武尊を祭神として祀っています。どちらも建鉾山(白河市)の麓にありますが、建鉾山からは5世紀頃の東北有数の祭祀遺跡が見つかっており、その関連について考えてみるのも面白いです。

中国の歴史書『宋書』に登場する倭の五王・武は、上表文で九州66国や朝鮮半島南部95国とともに、東国毛人55国を征服したと、倭国の業績を誇っています。倭王・武は第21代雄略天皇と考えられていて、5世紀頃には大陸の大国に対抗するための王権強化が進められていたことが伺えます。この「東国毛人55国」というのが具体的にどこを指すのかはわかりませんが、後期古墳などの発掘状況とも照らし合わせると、福島県内は5世紀頃にはすでにその勢力圏内に入っていたのかもしれません。

 

王権が強まる飛鳥時代の福島県

6世紀に入ると、それぞれの地域ごとの国家ではなく王権のもとに集結する古代国家がつくられていきました。氏や臣、連、国造、郡司といった名前や役職が、王権によって与えられるような国のかたちです。

福島県内には、浜通りと中通り、それぞれに菊多、石城、染羽、浮田、白河、石背、阿尺、信夫の八カ所に国造(くにのみやつこ)が設置されました(ちなみに会津方面には設置されていません)。国造は、地方を治める官職で、その地方の軍事権、裁判権などの自治権を認めるものでした。政権が管理する倉である「屯倉」が設置された形跡もありませんので、生産力よりも軍事力での貢献を求められたのかしれません。

それは、福島県が王権の最北端だったからでもあります。福島県内の国造の中で最北端に位置する信夫国造は、大和王権の勢力圏の最北端の一つでもありました。これより先の領域は、蝦夷の地という境界になります。そして、ちょうど6世紀の終わり頃、『日本書紀』に「蝦夷数千人が辺境を侵し荒らした」との記述があります。具体的な場所はわかりませんが、異文化が交わり合う場所です。いつ、どんなトラブルがあってもおかしくありません。これに怒った政権は、蝦夷の魁帥(蝦夷のまとめ役?)綾糟を都に呼びつけ服従を誓わせたといいます。

その後、7世紀になると大和王権は国号を「日本」と定め、律令国家体制を作り上げていきます。白村江の戦いによって東アジアの勢力図が大きく変化する中で、国内の強化に乗り出したというわけです。これにともなって、その勢力圏はどんどん北上していき福島県内は最前線ではなくなっていくのです。ただ、蝦夷による反乱も記録に目立つようになり、日本各地に設立された軍団からの東北への派兵記録などを見ると、落ち着かない時代だったのかもしれません。

 

 

まとめ 「先史時代から飛鳥時代の福島県」になにがあったのか?

細長い日本列島では、技術や資源、文化など新しいものは何でも大陸から入ってきましたので、東北地方にそれがやってくるのは最後になります。福島県は中では近いので、それでも早く伝わり文化の境界となりました。そんな過程がこうして歴史を振り返ってみるとよくわかります。

 

「先史時代から飛鳥時代の福島県」遺跡、古墳、そして文化

・一番古い福島県民は2万7000年前にいた!?
・東北地方では最も早く、かつ大きな古墳がたくさん作られた
・王権の最北端。蝦夷と直接対峙、交流する領域だった

ふかしま。
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ふかしま。編集部
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