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2021.03.09
葛尾村にはおよそ200年にわたって栄華を極め、「葛尾大尽」と呼ばれ明治まで莫大な富を持つ松本三九郎一族が住んでいました。その一族が眠るのが「磯前神社」です。ここでは「磯前神社」のご紹介とあわせて松本三九郎一族について触れたいと思います。
葛尾村の指定有形文化財に指定される「磯前神社」。こちらは大永2年(1522年)勧請。大永2年といえば、有名武将のひとり柴田勝家が生まれたとされる年であり、伊達植宗が陸奥守護に就任した年です。従前は薬師如来の祭祀でしたが、明治2年(1869年)神社法改正に伴い、「磯前神社」となったためか屋根には宝珠、欄間の彫刻には狛犬が見られます。また内部には文久3年(1864年)、明治15年(1882年)などと記された彩色奉納絵馬が残されています。加えて屋根の宝珠の下に松本家の家紋「左三つ巴」が確認できます。この松本家とはもちろん松本三九郎一族のことを指します。
「磯前神社」の敷地内に、高御座の夫婦杉があるほか、松本三九郎一族の墓石群があります。これほど「磯前神社」とゆかりのある松本三九郎一族とはどんな一族だったのでしょうか。
藤原氏の流れを汲み、信州葛尾城主だったと伝えられる松本勘ヶ由介の孫、松本好倉が初代の松本三九郎と目されていますが、生糸や製鉄業などで巨大な富を築き、地元を中心に「葛尾大尽」と呼ばれるようになりました。最盛期の江戸時代中頃には、近隣の三春藩を始め、相馬藩や棚倉藩に大金を献上すると同時に、多額の金を貸し付け、藩財政の一部に介入し、山林伐採や酒造米買い入れ、塩などの商売の独占権を得ていたと言われています。
しかしおよそ200年にわたり栄華を誇った松本三九郎一族でしたが、商売の中心だった製鉄業の不振に伴い、衰退の一途をたどり明治時代に没落。明治4年、明治8年の火災で、豪壮を極めた建物の大半を焼失しました。ただし、屋敷跡に残った石垣や礎石は葛尾村大尽屋敷跡公園で確認できます。
磯前神社
住所:福島県双葉郡葛尾村葛尾
アクセス:浪江駅からバスで60分
船引三春ICから車で40分
葛尾村大尽屋敷跡公園
住所: 福島県双葉郡葛尾村大字葛尾字敷井畑84番地3ほか
せっかく磯前神社を訪れたら、周辺の関連スポットも訪れてこそ歴女。ということで、この地を訪れたら一緒に訪ねたいおすすめの観光・歴史スポットをご紹介します。
葛尾村大尽屋敷跡公園の敷地内にあります。宝永6年(1709年)に作られた石仏で高さ5m大岩に文珠菩薩・大日如来・阿弥陀如来・聖観音菩薩・地蔵菩薩・不動明王・虚空蔵菩薩と7体の仏が刻まれています。
葛尾村の磨崖仏
住所:福島県双葉郡葛尾村大字葛尾字敷井畑地内
アクセス:磐越自動車道船引三春ICから車で約40分
常磐道浪江ICから約40分
天文6年(1538年)に開山、その後真言宗寺として、郡内二十四寺の一つとなります。葛尾大尽である松本三九郎一族も代々信仰し、御本尊「金剛界大日如来坐像」は松本聡通の妻イネが寄進したものといわれています。その他「閻魔大王」をはじめ、地獄での裁き役と言われる「十王」の木造坐像などもあります。
早馬山医王院薬師寺
住所:福島県双葉郡葛尾村葛尾
アクセス:浪江駅からバスで60分
船引三春ICから車で40分
登山口から山頂まで約3キロで、山頂から吾妻連峰,近くは太平洋が展望できるハイキングに最適のスポット。歴史散策を終え得た後に、葛尾村一帯を見渡してみてはいかがでしょうか。
五十人山
住所:福島県双葉郡葛尾村
石井食堂
ジャンル:定食
営業時間:11:00~18:30
定休日:日曜日
住所:福島県双葉郡葛尾村大字落合西ノ内町9
爆盛メニューが自慢の地元の台所。チャーハン(普通盛り)は他店の2.5人分はあろうかと思われる量。量はもちろん、味もピカイチ。歴史散策に疲れたらぜひ、ランチに早めのディナーに足を運んでみてください。
いかがでしたでしょうか。地元の「葛尾大尽」松本三九郎一族と縁深い「磯前神社」はその建築物としての価値をさることながら、葛尾村の歴史を知る重要なポイントとなります。「磯前神社」をハブに、周辺を散策し、葛尾村の深い歴史にぜひ、触れてみてくださいね。
・「葛尾大尽」松本三九郎一族を知るキーエリアである
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