いわきの鬼にも悲しい過去があり? 大多鬼丸が討ち取られた「鬼ヶ城」に眠る意外な過去

2021.01.25
未分類 #うつくしま百名山#史跡#坂上田村麻呂#大多鬼丸#鬼滅の刃

2020年を席巻した鬼滅の刃ブーム。老若男女から支持されたこの作品のひとつに敵であるはずの鬼の悲しい過去に魅了されたという声は少なくありません。今回ご紹介する「鬼ヶ城」はその名に反して現在ではキャンプなどを楽しむ場としていわき市民ほかから愛されていますが、過去には大多鬼丸と呼ばれる鬼が住んでいたことからこの名がついたと言われています。坂上田村麻呂に制圧されたというこの大多鬼丸とはどんな鬼だったのでしょうか。

 

血なまぐさい伝説の残る地が今では、キッズパークも併設する観光スポットに

「鬼ヶ城」は正式にはいわきの里鬼ヶ城と言い、現在はオートキャンプサイト(10区画)に駐車場はもちろん、AC電源や水道が区画ごとに整備され、隣接するイベント広場・林間広場には、子供たち人気の遊具のほか、トイレも設置されてる人気のキャンプスポットとして認識されています。

そのほか、キャンプサイト(30区画)は、共同炊事場、トイレ付き。それにオートキャンプサイトおうよび宿泊研修センター「ききり荘」(9室)やコテージ(2棟4戸)、バンガロー(11棟20室)といった宿泊施設も完備。加えて、 新緑や紅葉の時期は、近隣の夏井川渓谷(県道41号線)や鹿ノ又渓谷(県道287号線)のツーリングがおすすめと週末を楽しむ人達で周辺は賑わいます。

「鬼ヶ城」はいわき市の北西部に位置しており、一帯は標高887メートルの鬼ヶ城山 と呼ばれ、標高965メートルの矢大臣山に次ぐいわき市第二の高峰で、年間2万人以上の登山者が訪れる人気のある山。「うつくしま百名山」にも選定されています。

この鬼ヶ城(山)に昔は朝廷の圧政に抵抗したといわれる鬼・大多鬼丸の一味が住んでいたと言い伝えられていますが、現在の穏やかな山容からはとても想像がつかないと思います。鬼が退治されたことによって平和になったのか、はたまたもともと”穏やかな鬼”だったのか。「鬼ヶ城」をさらによく知るため、大多鬼丸について深堀りしてみたいと思います。

 

坂上田村麻呂に討たれた大多鬼丸は本当に”鬼”だったのか

今から1200年ほど昔の平安時代初期にまで遡ります。大多鬼丸は、伝承では大滝根山を根城に旅人や土地の人々を襲って暴れ回る賊の首領であり、それを討伐した坂上田村麻呂が正義という形で語られることが多いようです。しかし、実のところ、田村市内でも地域によって大多鬼丸の評価は様々。本当は飢えで困っている人には食を、病に伏せている人には良薬を与えて豊かな集落をつくり、多くの人に慕われていた指導者だったという言い伝えもあります。

さらに、大多鬼丸という名前には「鬼」の一文字が付いていますが、本当は大滝根山の名称のように、大滝丸だったのかもしれないという説もあります。というのも大多鬼丸は山のふもとに住んでいた豪族であり、「土地を差し出せ、税を納めよ」という当時の中央政府(ヤマト政権)の命令に逆らい続けていました。そのため、怒ったヤマト政権が差し向けた坂上田村麻呂の軍勢と戦ったというのが本当の話で当時は朝廷に逆らった者は逆賊として、当時は等しく「鬼」の付く名で呼ばれてしまったという説も地元を中心に根強く残っているのです。

つまりは中央に激しく反抗する地元の豪族であって、物語上、悪役になっただけの人物なのではないのかというわけです。事実、福島県田村郡に置かれていた滝根町方面に伝わる伝承では、大多鬼丸は野盗の首領というのではなく、行政の長として手腕をふるっていたように描かれているそうです。

何が事実かは未だわかりませんが、単純な勧善懲悪の話というわけではなさそうです。

 

まとめ 「鬼ヶ城」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

いかがでしたでしょうか。時代とともに浮かび上がってくる大多鬼丸の二面性は、あるいは”地元のために尽くしたものの朝廷に討ち取られた悲しい鬼の物語”とも言えなくもありません。史実を読み解き、地元に赴き、真実を知ろうとする。これこそが歴史の楽しみ方です。ぜひ、福島に訪れ、自分なりの大多鬼丸伝説の知見を深めていってください。

 

まとめ

・坂上田村麻呂に制圧された大多鬼丸が根城としていたエリアである

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