ハイキング気分で歴史巡り!白虎隊が眠る飯盛山ってどんなところ?

2021.01.26
未分類 #会津若松#戊辰戦争#散策#白虎隊#飯盛山

会津若松市にある飯盛山は、山頂から城下町を一望できる小高い山です。そしてこの山は多くの歴史の舞台となってきました。なかでも戊辰戦争の際、白虎隊の悲劇が起きた地として有名です。他にもミシュラン1つ星を獲得した名所もあり、見所はたくさん。ハイキングで登りながら歴史を感じることのできる飯盛山。その歴史やおすすめ登山ルートなど詳しくご紹介します。

 

若き会津藩士の眠る場所…白虎隊最期の地

飯盛山の名前を知っている方のほとんどは、おそらく白虎隊の逸話として聞いたことがあるのではないでしょうか。
白虎隊とは、1868年鳥羽・伏見の戦いを皮切りに勃発した戊辰戦争のなかで、会津で戦った少年兵たちのことです。鳥羽・伏見の戦いで敗戦した会津軍は、武力を増強しようと隊を編成しなおします。そこで誕生したのが中国の四神になぞらえた「白虎隊」「朱雀隊」「青龍隊」「玄武隊」の4隊でした。それぞれの隊士は主に年齢で分けられ、白虎隊は15~17歳の少年たち。彼らは警備のための予備隊として編成され、前線へ出る予定ではありませんでした。しかし敵がいよいよ城下まで迫り、白虎隊は出陣します。そのうち戸ノ口原に向かったのは二番隊の37名。劣勢は変わらず敗走します。17人は無事に戻り入城できましたが、20人は遅れてしまいなんとか飯盛山に落ち延びました。そして山頂から城下町を見下ろすと、町が燃えているのが見えたのです。鶴ヶ城は落城した、もはやこれまでと思った彼らは、最後は会津藩士らしく自刃を選びました。そのうち1人が生き残り、白虎隊の悲劇は語り継がれてきました。

戊辰戦争で敗北した会津藩は朝敵とされ、鶴ヶ城の補修や戦死者の遺体を埋葬することを禁じられてしまいます。白虎隊の少年たちも衣服や持ち物は盗難され、体は動物に食べられたり風雨にさらされたままの状態でした。翌年になりようやく飯盛山への合葬が許されます。1890年に19名それぞれの墓が立ち、彼らはようやく、鶴ヶ城に向かって安らかに眠ることになったのです。

 

白虎隊だけじゃない!ハイキング気分で飯盛山に登ってみよう

飯盛山の標高は314m。本格的な登山には向かないかもしれませんが、その分気軽に登ることができ、白虎隊の墓以外にも名所や史跡がたくさんある、観光にも歴史探求にもぴったりな山です。

入り口から続く石段は183段ありますが、脚が弱い方や早く周りたい方は、石段隣のスロープコンベアを利用しましょう。辛い石段登りもらくらくで山頂まで上がれますよ。

スロープコンベアを降りて少し上がったところに「白虎隊十九士の墓」があります。こちらには白虎隊の悲劇を悼む歴史ファンが、いまも多く訪れています。他にも白虎隊の供養車や、自刃の場、白虎隊が使った洞穴と言われる戸の口堰洞穴など関連の地や碑などがたくさんあります。

下りはスロープはないので、ゆっくり名所をまわっていくと良いでしょう。まずお勧めなのが「さざえ堂」。1796年に建立された観音堂で、国の指定重要文化財です。さらに2016年ミシュラン・グリーンガイドで1つ星を獲得。このお堂は上る人と下る人がすれ違うことがない、二重らせんで、世界にも例にない構造で外国からも注目されています。弁天様と親しまれる「巌島神社」もお参りしていきましょう。飯盛山という名前も、このお堂が建立にまつわる神話に由来しているといいます。

降りてきたら「白虎隊記念館」にも入ってみてください。こちらには戊辰戦争関連の資料を収蔵、展示しています。そして、良い季節であれば記念館脇に立つ「太夫桜」が花をつけているのが見られます。樹齢300年のエドヒガンザクラで、石部桜とともに会津二老樹と称えられています。

 

まとめ 「飯盛山」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

白虎隊の悲劇の地として有名な飯盛山。また白虎隊以外にも見所はたくさん。ハイキング気分で登れますので、観光の合間に気軽に行くことができます。会津若松市の城下町を見下ろす眺めも絶景です。ぜひ会津に来た際は、歴史の舞台となったこの場所に立ち寄ってみてください。

 

「飯盛山」の歴史、文化的な価値、魅力

・白虎隊最後の地となったことで有名で、いまも歴史ファンが多く訪れる
・さざえ堂など重要な名所もあり、気軽に登れるので観光の合間に立ち寄ることができる

ふかしま。
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ふかしま。編集部
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