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2021.03.09
会津美里町にある「伊佐須美神社」は、東北広しといえどもその歴史の古さと格式の高さで有名です。日本最古の歴史書「古事記」にその由来が書かれるほどで、会津のパワースポットとして参拝客が絶えません。今回は、会津の祖神とされる「伊佐須美神社」についてお伝えします。
ご紹介する「伊佐須美神社」の世界は、会津藩や仏都会津よりもはるか昔です。神社に伝わるところによれば約2000年以上も前、現存する最古の歴史書「古事記」(奈良時代初期の712年に編纂)によると約1500年前が起源とされています。日本の国造りに始まる神話の世界に登場する神々をお祀りしている神社です。
ご祭神は、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊(いざなみのみこと)、大毘古命(おおひこのみこと)、建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の4柱です。ご祭神を総称して伊佐須美大明神とし、人々から伊佐須美様と呼ばれ親しまれています。
会津という地名がまだなかったころ、ご祭神である大毘古命が北限の平定のために訪れ、子である建沼河別命に会った場所だったことから相津と呼ばれ、それが会津の始まりでもあり地名の由来ともいわれています。
太古から人々の信仰を集めていたため、神社としての格式が高く、何度となく変わってきた神社の格式を表す社格制度の中でも会津総鎮守や奥州二宮、岩代国一宮という呼称を得てきました。もちろん諸大名から重んじられ、会津藩の歴代藩主も熱心にお参りや寄進をしたと伝わります。
残念ながら、2008年(平成20年)に起こった火事のため本殿などが焼失してしまい、現在は仮社殿となっています。
伊佐須美神社は八方除東北総鎮護とも呼ばれます。御守の中でも八方除けの強運御守が人気です。八方除けとは、日常生活のありとあらゆる災難から身を守ることです。物事が行きづまることを八方塞がりといいますが、そのような災厄を避けるための御守です。なお、四方は東西南北、八方は四方に加えて北東、北西、南東、南西を指し、全方角を意味します。つまり、あらゆる方角からの災難除け、強運、家運隆昌のためのものです。初詣は例年、非常ににぎわいます。
ご神木の薄墨桜も見どころのひとつです。薄墨桜はほかにもありますが、満開になると花の中央が赤く色づくのは珍しいといえます。毎年4月29日に開かれる「花祝祭」では薄墨桜の花びらが入った餅が参拝客にふるまわれ、ほのかに香る餅で人々をもてなします。
薄墨桜は会津五桜のひとつに挙げられ、会津美里町・法用の虎の尾桜(とらのおざくら)、会津若松市・石部邸跡の石部桜(いしべざくら)、会津坂下町・薬王寺の杉の糸桜(すぎのいとざくら)、猪苗代町・磐椅神社の大鹿桜(おおしかざくら)とならび称されます。どの桜も名木です。
宝物殿を拝観すれば、国の重要文化財「朱漆金銅装神輿」や県の重要文化財「木造狛犬一対」をはじめとして、会津藩ゆかりの品々を見ることができます。
一説には2000年以上も歴史をさかのぼることができるという「伊佐須美神社」。古から人々の信仰を集める東北有数の格式を誇る古大社です。八方除けのご利益やご神木の薄墨桜でも知られ、会津はもちろんのこと東北の人々の心のよりどころになっています。
・東北の中でもことのほか歴史が古く格式の高い神社
・八方除けのご利益には強運御守がおすすめ
・ご神木の薄墨桜は会津五桜のひとつ
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