会津藩祖・保科正之が「土津神社」に託した思いとは?

2021.01.26
未分類 #会津#会津藩祖#保科正之#土津神社#寺社仏閣#御朱印#戦国武将

土津神社(はにつじんじゃ)は陸奥会津初代藩主・保科正之(ほしなまさゆき)を祀った神社です。福島県猪苗代町の中でも磐梯山の麓にあり、その位置取りには意味があります。御朱印や紅葉でも有名で、それを目当てに訪れる観光客も少なくありません。今回は、「土津神社」をご紹介します。

 

東北の日光と呼ばれる会津の守り神「土津神社」

会津の土地を今も磐梯山の麓から守り続ける「土津神社」。陸奥会津藩初代藩主・保科正之の遺言に従い、江戸初期の1675年(延宝3年)に創建された神社です。その位置は会津藩のシンボル「鶴ヶ城」の丑寅(うしとら)の方角、つまり鬼門(北東)にあたります。

鬼門とはその名のとおり鬼(邪気)が入ってくる場所とかつて考えらえていたため、そこを守ることで、会津藩の安全や繁栄を願ったと考えられています。この世を去ってもなお、境内にある墓所から会津藩を見守りたかったのでしょう。

それは江戸幕府と日光東照宮の関係と同じで、位置だけではなく建築様式も日光東照宮と同じ壮麗な権現造となっています。もっとも奥にある本殿とその手前にある拝殿を相の間(あいのま)でつなぐ形式のことで、土津神社の場合は幣殿があります。

現在の社殿は1880 (明治13)年に再建されたもので、創建時の社殿は戊辰戦争の戦火で焼失してしまいました。藩祖はどのような思いで見ていたかに思いを巡らせてみてもいいでしょう。

江戸幕府との強い関係性は、保科正之が江戸幕府初代将軍・徳川家康の孫でもあり、3代将軍家光の異母弟でもあるからです。幼くして信濃高遠藩主保科家の養子となり、高遠と出羽(山形)を経て、33歳のとき会津藩の初代藩主になりました。

家光や4代将軍家綱を支え、松平への改姓を求められましたが、養育してくれた保科家への恩義を忘れることなく保科姓のまま生涯を終えたことも、その人柄を偲ばせます。

 

デザイン豊富な「土津神社」の御朱印は人気抜群!

土津神社の人気の理由は東北の日光のほかにもあります。御朱印と紅葉です。一般的にシンプルなデザインが多い中、土津神社の御朱印はいい意味で異彩を放っています。豊かな色彩と力強い文字、社印、ご神紋を斬新に配置するそのデザインには「欲しい!」と思わせる力があります。

ご利益とされるこどもと出世にちなんだ御朱印をはじめとして、四季や年中行事、季節の移ろいを表現したさまざまな御朱印は約90種類もあり、全国にファンがいるほど。とにかくカワイイんです!御朱印帳や守り袋もありますので、どれにしようかと迷う時間もどうぞ楽しんでください。

また、紅葉の頃の景観は格別です。深紅のイロハモミジは黄色や緑色とのコントラストが目に鮮やかで、青空によく映えます。ライトアップもされますので、夜のもみじ狩りとしゃれこむのも素敵です。写真映えすることから、非常に人気の高い撮影スポットとしても知られています。

このイロハモミジは、9代藩主松平容保(まつだいらかたもり)が京都守護職という幕府の要職を務めたことがきっかけで、京都から移植されたと伝えられています。見ごろは例年11月中旬ごろまでです。

 

まとめ 「土津神社」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

会津藩初代藩主・保科正之の遺志によって創建された「土津神社」は、鶴ヶ城の鬼門に鎮座する会津藩の守り神です。日光東照宮にならった権現造で、江戸幕府とのゆかりが深いのは藩祖の出自によります。デザインに優れ全国的にも人気が高い御朱印や目に鮮やかな紅葉でも有名です。

 

「土津神社」の歴史、文化的な価値、魅力

・会津藩祖・保科正之の遺志により江戸中期に創建された
・東北の日光とよばれる荘厳な権現造にして会津の守り神
・デザインに優れた御朱印や紅葉の名所として人気が高い

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