兵 (つわもの) どもが夢の跡。福島県の有名な3つの古戦場をご紹介

2021.01.26
歴史 #人取橋古戦場跡#古戦場#史跡#大壇口古戦場#戸ノ口原古戦場跡

古戦場とは言葉の通り、その昔、戦場となった場所。名武将、歴史的な事変があった福島県にも今はその戦火が嘘であったかのように、傷跡がみえない古戦場があります。今回は歴女必見の、伊達政宗、戊辰戦争、白虎隊をキーワードに福島県内の3つの古戦場をご紹介します。ぜひ、現地を訪れて当時の戦況に思いを馳せてみてくださいね。

 

福島県内の有名な3つの古戦場「人取橋古戦場跡」「大壇口古戦場」「戸ノ口原古戦場跡」

全国にも古戦場はありますが、実際に戦いの跡を見学できる場所は限られています。そのほとんどはは、城や公園、寺社仏閣などに整備されていたり、石碑や銅像を建立されていたりしています。今回は今なお、そこで実際に戦いがあったことを残す古戦場をご紹介します。

 

人取橋古戦場跡

二本松城主畠山義継が伊達輝宗を拉致して両者とも死去した事件がきっかけで、天正13年(1586年)に旧安達郡本宮の人取橋付近で起きた戦い人取橋の戦いが行われた場所。

父が殺され激怒した伊達政宗が二本松城に1万3,000の軍勢をもって攻撃、一方、畠山氏側は反伊達の連合軍として常陸の佐竹義重・会津の蘆名亀王丸・岩城常隆・石川昭光・白川義親・相馬義胤・二階堂氏らが須賀川の地に結集しました。

結果的にこの合戦において伊達勢は426名の死傷者、連合軍側は961名の戦死者を出しているが、優勢だった連合軍がついに伊達勢を壊滅させることは出来なかった上、損害は伊達勢を上回ったため若干19歳の政宗が数倍の軍勢であった連合軍と渡り合った事は、奥羽全土に伊達勢の勇名を轟かせる事になりました。

 

人取橋古戦場跡
住所:福島県本宮市青田茂庭

 

大壇口古戦場

戊辰戦争史上特筆すべき一大決戦の地で、大壇口に出陣した二本松少年隊は62名のうち25名、木村銃太郎隊長は戦死、また少年隊を援護して壮烈な戦死を遂げた青山助之丞・山岡栄治の二勇士の奮闘の地でもあります。

新政府軍に対して善戦するも、新政府軍の兵力に、少年隊は退却を余儀なくされ、腰部を銃弾で貫かれた木村隊長は、少年隊士に自分の首を落とすように命じ、少年隊副隊長の二階堂衛守の介錯によりこの地に散りました。なお、こちら大壇口古戦場跡には「木村銃太郎戦死之」碑があります。

大壇口古戦場
住所:福島県二本松市向原

 

戸ノ口原古戦場跡

戊辰戦争の際に会津藩白虎隊士と薩長軍との激戦地跡で、白虎隊の慰霊塔があります。

新政府軍との戦いの中で、会津藩の要地で、藩境の母成口が破られたという知らせを受け、予備軍だった白虎隊に応援が求められる戦った場所です。激戦の中、劣勢となった白虎隊が逃げる中、本体とはぐれた白虎士中二番隊の20名が、戸ノ口堰洞穴を抜けて飯盛山に辿り着き、城下を見下ろした際に、有名な「鶴ヶ城が落ちたと」錯覚。集団自刃に繋がります。

 

戸ノ口原古戦場跡
住所:福島県会津若松市河東町八田大野原341

 

まとめ 「福島の古戦場」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

「古戦場」に実際にに足を運んでみることで、改めて歴史について深く学ぶことができ、現地だからこそ得ることができる情報もあるはず。例えば地形や方角を確認しながら、実際の戦いをイメージして思いを馳せることもできるでしょう。あなたの頭の中にある知識と現地を繋げてイメージしてみるのも歴女ならではの古戦場の楽しみ方といえるのではないでしょうか。

 

まとめ

・人取橋古戦場跡はその後に伊達政宗が勇名を馳せるきっかけとなった戦があった
・大壇口古戦場は戊辰戦争史上特筆すべき一大決戦の地で木村銃太郎の碑がある
・戸ノ口原古戦場跡ではその後に新選組の集団自刀の悲劇に繋がる新政府軍との激しい戦いが行われた

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