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2021.03.09
大正ロマンを代表する画家として知られる竹久夢二は、福島の東山温泉を3度訪ねて美人画を残しました。また、福島出身の作曲家・古関裕而と「福島夜曲」を世に送り出したことでも知られています。今回は、竹久夢二と福島県のゆかりについてお伝えします。
大正時代に東山温泉を訪れた文化人の中のひとりに竹久夢二がいます。夢二は大正ロマンを代表する画家として有名で、多くの美人画を残しました。浮世絵を彷彿とさせるその独特さは「夢二式美人画」とも呼ばれます。
東山温泉には、1911年(明治44年)、1921年(大正10年)、1930年(昭和5年)と3度滞在しました。それぞれ28歳、38歳、47歳のころです。その際にいつも宿泊したのが「新滝」です。そこでとんぼという芸妓をモデルにしたものを含め、いくつもの美人画を描き残しました。
新滝には今も夢二の作品があり、夢二ギャラリーとして無料で公開されています。新滝と夢二の関係性を見ることができますね。宿泊客であれば自由に鑑賞することができるようになっているところに、夢二と新滝の関係の深さを伺い知ることができます。
また、新滝の目の前にある新滝橋には、夢二が作詞した「宵待草(よいまちぐさ)」の歌碑が建てられています。
「まてどくらせど 来ぬひとを 宵待ち草のやるせなさ こよいは月も 出ぬそうな」
夢二は恋多きことでも知られ、この宵待草の歌詞も、ひと夏の叶わぬ恋の経験から生まれたものだと伝えられます。画家としてあまりにも有名ですが、詩人でもあり、グラフィックデザイナーやプロダクトデザイナーの先駆けだったともいわれているのです。
1929年、古関裕而(こせきゆうじ)が福島市で開かれた竹久夢二展を見に行ったことから、ひとつの曲が生まれました。それが「福島夜曲(ふくしませれなあで)」です。古関は「栄冠は君に輝く」など数多くの有名な曲を残し、朝ドラ「エール」で取り上げられた福島生まれの作曲家として知られています。
当時、古関は20歳。夢二展で見た「福島夜曲」の12編の詩に深く感銘を受け、詩をノートに書き写して帰宅した勢いそのままに、たった一晩で曲を書き上げて、それを滞在中の夢二に届けたというエピソードは有名です。その翌年、日本コロムビアに入社した古関が、デビュー曲に決まった「福島行進曲」のB面にと、この福島夜曲を選んだことはドラマでよく知られるところになったでしょう。
福島夜曲には続きがあります。その後、商品化されお菓子になりました。その名も「福島夜曲(せれなあで)」。アップルガレットです。果物王国福島を表現したいということで、たくさんある果物の中からお菓子によく合うりんごを採用したそうです。
製造販売をしているのは、福々和本舗(ふくふくわほんぽ)という古関裕而記念館近くにある製菓店です。竹久夢二と古関裕而のコラボレーション「福島夜曲」にちなんでいるので、権利関係の対応に時間がかかり、発売までに約1年を要したというエピソードも聞きます。
これでまたひとつ、夢二と福島の関係性が深まりましたね。
大正ロマンの代名詞ともいえる竹久夢二と福島とのゆかりは、浅からぬものがあります。3度も訪れたくさんの美人画を残したという東山温泉や、福島出身の作曲家・古関裕而との間に生まれた名曲「福島夜曲」などがあるからです。その後に続いたお菓子「福島夜曲」は、夢二と福島のゆかりをますます深めることでしょう。
・竹久夢二は東山温泉を好み、3回滞在した
・東山温泉で贔屓にしていた宿「新滝」には夢二が残した美人画があり無料で鑑賞できる
・「福島夜曲」は夢二作詞、古関裕而作曲
・「福島夜曲」というお菓子もある
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