女流洋画家・高村智恵子が生まれ育ち愛した故郷【二本松市】

2021.01.26
歴史 #ほんとの空#二本松市#女流洋画家#歴史人物#高村智恵子

明治時代末期から大正時代にかけて活躍した女流洋画家・紙絵作家の高村智恵子。夫であり詩人の高村光太郎が妻への思いを詠った名作『智恵子抄』のモデルとしてご存知な方も多いのではないでしょうか。智恵子は、福島県安達郡油井村字漆原(現・二本松市油井)の造り酒屋の長女として生まれました。今回は、智恵子が愛した故郷と彼女の関わりに焦点を当てつつ、二本松市の魅力に迫りたいと思います。

 

高村智恵子が愛した福島県二本松市の「ほんとの空」

高村智恵子は、1886(明治19)年、二本松市油井で生を受け、幼少期と少女時代を過ごしました。東京の日本女子大に入学する1903(明治36)年までのおよそ18年間を、福島の地で過ごしたことになります。
智恵子は、故郷を離れてからも、故郷をこよなく愛し心の拠り所にしていたと言われております。
夫・高村光太郎の『智恵子抄』の中に、このような詩があります。

 

(引用)
智恵子は東京に空が無いといふ、
ほんとの空がみたいといふ。
(中略)
智恵子は遠くを見ながら言う
阿多多羅山の山の上に
毎日出ている青い空が
智恵子のほんとの空だという
あどけない空の話である。
(高村光太郎「智恵子抄」収録「あどけない話」龍星閣,1941年)
(/引用)

 

「阿多多羅山の山の上に 毎日出てゐる青い空」こそが、知恵子にとっての「ほんとの空」だと。
智恵子がいかに、故郷の山と広がる青い空、見上げる景色を愛していたかが伝わる一節です。
都会での生活で疲れた智恵子の心には、幼少期を過ごした故郷の風景がいつまでも懐かしく思い出されたのでしょう。
阿多多羅山と表された安達太良山(あたたらやま)は、標高約1,700mの活火山。別名「乳首山(ちちくびやま)」とも呼ばれ、和尚山、安達太良山、鉄山、箕輪山、鬼面山、薬師岳と続く連山のことを安達太良山と呼んでいます。「日本百名山」「花の百名山」に選ばれる美しい山としても知られています。
智恵子は病弱で、年に3,4ヶ月は二本松市で静養し過ごしていたそうです。福島の美しい自然を眺め「ほんとの空」に癒された智恵子。彼女の作品作りに多大な影響を与えただろうことは言うまでもありません。

 

高村智恵子の故郷二本松市・是非訪れたいゆかりの地

このように故郷を愛した高村智恵子。彼女の原点となった二本松市とはどんな町なのでしょうか。ゆかりの地にして現存する、智恵子に関わりが深い名所を3つご紹介します。

 

スポット1
智恵子の生家・智恵子記念館
智恵子の生家の様子が実現されています。2階には、智恵子の部屋があります。裏庭には、「智恵子記念館」が併設され、美しい油絵や紙絵が展示されています。

 

住所  : 二本松市油井字漆原町36
見学時間: 午前9時~午後4時30分(入館は午後4時まで)
定休日 :水曜日(祝日の場合は翌日) 年末・年始(12月28日~1月3日)
入場料 :大人(高校生以上) 個人:410円 団体:360円 子供(小・中学生) 個人:210円 団体:150円

 

スポット2
智恵子の杜公園
智恵子と光太郎が歩いた「愛の小径」をはじめ「ふれあいの広場」「あじさいロード」「彫刻の丘」などがあります。展望台からは、阿多多羅山、阿武隈川と智恵子が愛した街を一望することができます。

 

住所  : 福島県二本松市油井地内

 

スポット3
智恵子抄詩碑
光太郎が妻智恵子を想って詠んだ「樹下の二人」の詩碑。有名な冒頭の句「あれが阿多多羅山、あのひかるのが阿武隈川」が刻字されています。二人の純愛を実感できます。地元の有志によって建てられました。霞ケ城公園内の南側の高台にあります。

 

住所  :福島県二本松市郭内3丁目 福島県立霞ケ城公園内

 

まとめ 「高村智恵子」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

芸術家・高村智恵子を育んだ福島県二本松市。この地を訪れ、阿多多羅山の上に広がる空を眺め、幼き日の智恵子、少女時代の智恵子、そして病で療養していた智恵子に思いを馳せてみてはいかがでしょうか。二本松は、菊人形展や提灯祭りなどのイベントでも有名です。ぜひ、足を運んで智恵子ゆかりの地をゆったりと散策してみてください。

 

「高村智恵子と二本松市」の歴史、文化的な価値、魅力

・二本松市の空だけが「ほんとの空」と智恵子に言わしめた美しい自然
・『智恵子抄』を通して智恵子と光太郎の純愛を感じられる名所巡り

ふかしま。
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