戦後文学を代表する文豪・埴谷雄高ってどんな人?ルーツは南相馬市にあった!

2021.01.26
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埴谷雄高という人物をご存じですか?20世紀に活躍した小説家です。また思想家、評論家の一面もあり 、昭和の思想史を代表する存在です。生まれのルーツは福島県南相馬市にあり、埴谷はそのことを生涯誇りにしていました。南相馬市には資料館もある、福島に深いつながりのある人物です。しかし作品は難解で、また露出もあまりしない人物であったため、謎の多い人物としてなかなかスポットに当たることがありません。今回は謎めいた作家、埴谷雄高について詳しくご紹介します。

 

思想運動に捧げた青春、そして未完の大作『死靈』が文学界に衝撃を与える

埴谷雄高は、1909年に台湾で生まれました。当時父の三郎は税務官吏で、仕事の関係で台湾にいました。本名は般若豊。まるでこちらの方がペンネームのような名前ですね。こどもの頃から体が弱く、成長してからも病気がちで、結核で徴兵を免れたほどでした。
青年期は、この頃の文学青年らしくアナーキズムに熱中。マルクス主義に傾倒し日本共産党に入党します。地下活動に従事していましたが1932年、思想犯取り締まりで逮捕されてしまいます。獄中でカントやドストエフスキーに触れ、衝撃を受けました。
その後、終戦直後に雑誌「近代文学」の創刊に参加します。この雑誌は戦後文学のはじまりと位置付けられる文学史上重要な雑誌とされています。その創刊号に掲載された長編小説が、埴谷を代表する作品『死靈(しれい)』。全12章の予定で、死の直前まで第9章を書き継いだ未完の大作です。形而上小説と呼ばれる、観念的議論によって進んでいく哲学小説で、超難解であることでも有名です。読み通すのは簡単なことではありません。けれどもこの作品の登場は多くの文学者、哲学者に衝撃を与え、高い評価を得たのです。

埴谷を語る際に出てくる有名なエピソードのひとつとして、「コム・デ・ギャルソン論争」があります。1984年に女性誌『an an』の特集にコム・デ・ギャルソンを着て登場している批評家・吉本隆明を批判したのです。
特集は「現代思想界をリードする吉本隆明のファッション」という題で、自宅でコム・デ・ギャルソンを着て仕事をする吉本の写真が大写しになっていました。それを見た埴谷は「資本主義のぼったくり商品を着ている」「それを見たらタイの青年は悪魔と思うだろう」と痛烈に批判しました。これはアメリカの帝国主義を肯定する行為であり、吉本が1982年の反核アピールを否定したことと合わせて問題であると主張しました。これに対して吉本も、コム・デ・ギャルソンは帝国主義とは関係ない、賃金労働者もこのような雑誌を読めるほど豊かになった証拠だ、また埴谷の『死靈』も商品である、と反論し論争はしばらく続きました。

 

ルーツの相馬藩士の末裔であることに誇りを持ち続けた

埴谷は父の仕事の関係で台湾で生まれましたが、そのルーツは福島県南相馬市にあります。般若家は代々奥州相馬氏に仕えた相馬藩士でした。中村藩の剣道指南役で明治維新を迎えました。維新後、廃藩置県により小高の岡田の地を与えられ、土着しました。そこが埴谷の本籍となったのです。埴谷は、生涯相馬藩士の末裔であることの誇りを持ち続けたことを、エッセイに書いています。自身は東京で暮らしましたが、南相馬に先祖の墓も残っており、本籍地を動かすことはしませんでした。

埴谷は1997年に脳梗塞で死去。87歳でした。亡くなった2月19日はアンドロメダ忌と呼ばれています。
亡くなってから3年後の2000年に、南相馬市小高区に「埴谷・島尾記念文学資料館」が開館します。埴谷と、もうひとり島尾敏雄の合同の資料館です。島尾も戦後日本文学に大きな影響を与えた作家の1人です。両親が小高の出身で、しばしば小高を訪れていました。小高にゆかりのある2人は、小高を通して親交を持ち続けました。文学館設立の際、埴谷自身が「島尾君と2人の文学資料館がいい」と町側に望んだと言われています。小説の単行本や掲載雑誌はもちろん、生原稿や写真など貴重な関連資料2万点以上を収蔵し、謎めいた作家の実像に触れることができます。
気難しい作家、というイメージのある埴谷ですが、たくさんの人に好かれていました。また埴谷は新人作家の才能を発見するのに長けており、安部公房や北杜夫などたくさんの作家を推薦し育成しました。人望があり、信頼もされていた作家は、ゆかりのある福島でも変わらず愛されています。

名称  :埴谷・島尾記念文学資料館
住所  :福島県南相馬市小高区本町2-89-1
営業時間:9:00~17:00
休館日 :年末年始・展示替えの際

 

まとめ 「埴谷雄高」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

戦後文学の代表的作家である埴谷雄高。寡作で、発表されている作品も難解なため、作家自身もどんな人物なのか謎めいていました。福島にゆかりがあることも、あまり知られていなかったかも知れません。どんな人物だったかや作品に興味を持った方は、ぜひ福島の資料館に立ち寄ってみてください。

 

「埴谷雄高」の歴史、文化的な価値、魅力

・形而上小説である『死靈』を発表し、戦後文学界の代表的作家となる。
・南相馬にゆかりがあり、相馬藩士の末裔であることに誇りを持ち続けた。

ふかしま。
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ふかしま。編集部
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