武田信玄からも称賛!福島県の戦国武将「蘆名盛氏」の最盛と滅亡まで

2021.01.26
歴史 #天文の乱#戦国武将#武田信玄#歴史人物#直江兼続#蘆名盛氏

旅行や観光に行くなら、しっかりチェックしておきたいのがご当地の歴史ですよね。今回は、福島県を訪れる際に、ぜひ覚えておきたい戦国武将「蘆名盛氏(あしなもりうじ)」をご紹介します。天下統一をする武将のような派手さはありませんが、会津地方ゆかりの名将として知っておくと、より旅が価値あるものになるはずです。

 

信玄から称賛された戦国武将「蘆名盛氏」

福島県の武将といえば「蘆名盛氏」は覚えておきたい名将の一人です。

室町時代に、自らを会津守護と称していた、蘆名氏の第16代当主で、戦国時代の蘆名盛氏の時代に最盛期を迎えています。当時の陸奥国では、奥羽の伊達氏と並んで有力大名としての地位を築きました。

・「蘆名盛氏(あしなもりうじ)」の生い立ち
大永元年(1521年)に、蘆名家の第15代当主・蘆名盛舜(あしなもりきよ)の次男として生まれます。天文6年(1537年)には伊達稙宗の娘を正室に迎え、天文10年(1541年)に盛舜から家督を譲られ、ここから盛氏の時代が始まります。蘆名家の周辺は、奥羽の伊達氏や二階堂氏、常陸国の佐竹氏や田村氏などに取り囲まれ、多くの戦が起こっていました。さらに、同盟や和睦のために、姻戚関係や養子縁組が盛んに行われていたと言われています。家督を受け継いだ盛氏は、一族の結束を固めて勢力拡大し、会津統一を目指したとされています。

・天文の乱での「伊達氏」との関わり
天文の乱とは、隣国の奥羽地方を治める、伊達稙宗とその子・晴宗との争いです。蘆名氏と伊達氏は父の代からの同盟関係があり、当初、盛氏は稙宗に味方し、戦は優勢に進んでいました。しかし、時を同じく抗争していた隣国の田村氏が稙宗側であったため、盛氏は晴宗の味方へと寝返り、それが勢いを増すきっかけともなり、天文の乱は息子・晴宗の勝利となりました。この戦によって、蘆名家と伊達家には、新たな主君同士の同盟関係が結ばれることになりました。

・武田信玄から称賛された「盛氏」
会津地方で勢力を拡大している中、盛氏は甲斐の武田信玄に「越後の上杉謙信を牽制して欲しい」と頼まれます。信玄との同盟関係を築きたい盛氏は、これを受け入れ、永禄6年(1563年)に越後に出兵。謙信が盛氏に気を向けている間に、信玄は信濃に侵略して領土拡大をしていくのでした。その際に、信玄は「近頃優れた武将は、丹波の赤井、江北の浅井、会津の盛氏、若手の大将では三河の家康の4人であろうか」と称賛したと言われています。

 

最盛後に滅びゆく「蘆名家」

栄光の時期があれば、いつかは衰退していくのが戦国時代ですよね。
最盛期を迎えた蘆名家と盛氏ですが、滅亡するのもまた盛氏が原因と言えるようです。

・後継問題が勃発
着実に勢力を拡大していた天正2年(1574年)、家督を譲った嫡男の盛興が29歳という若さで急死します。盛興には男子がおらず、盛氏も戦国大名としては珍しく側室を取らなかったので、他に男子はいませんでした。そこで、人質としていた二階堂盛義の子・盛隆に、盛興の未亡人を娶らせて家督を継がせ、盛氏が実質の政務を執りました。しかし、家督を継いだ盛隆は蘆名家との血縁関係が薄く、重臣たちとの確執を生み、不満が高まっていきます。さらに、長年に渡る周辺勢力との争いで、財政がひっ迫してくことも「蘆名家」の衰退の原因になっていくのです。

・「蘆名家」の滅亡
蘆名家の滅亡は、天正8年(1580年)に盛氏が60歳で亡くなったところから、進んでいきます。後を任された盛隆は、上杉景勝の重臣・直江兼続に攻められて、蘆名家の国力は徐々に弱体化。さらに、血縁関係が薄い盛隆をよく思わない家臣たちが多く、ついに盛隆は家臣に襲われて24歳という若さで亡くなります。隆盛亡き後、蘆名家の家督を継いだのは、生後1か月の亀王丸で、蘆名家と同盟関係にある伊達輝宗が後見することになりました。しかし、亀王丸はわずか3才で死去。その後、蘆名家の後継者争いが起き、当主には佐竹義重の次男・蘆名義広となったものの、蘆名と佐竹の関係を危惧した伊達政宗は大きな決断を下します。それは、長く続いた蘆名氏との同盟関係を破棄し、攻め滅ぼし、会津の土地を手に入れることでした。

最盛期を過ごした盛氏が亡くなってまもなく、蘆名家は滅びることになりました。自分の後継者選びから崩れ始めたことを知らない盛氏は、生きていたらどう思ったのか。

誰も知ることができない事が多く、歴史はやはり深くて面白いものですね。

 

まとめ やっぱり歴史はおもしろい!戦国武将「蘆名盛氏」

福島県の大名である「蘆名家」と、その第16代当主である戦国武将「蘆名盛氏」をご紹介しました。その土地の歴史や武将を知ることで、見るものや感じることがまた違って来るかもしれません。ぜひ、会津を訪れた時には、「蘆名家」の栄枯衰退の歴史を思い出してみてください。

 

まとめ

・当時の陸奥国では、奥羽の伊達氏と並んで有力大名としての地位を築く
・武田信玄から徳川家康と並び称賛されるほどの力の持ち主

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