歴史は繰り返す?「歴史書」からみる福島県

2021.01.26
文化 #先代旧事本記#利胤君御年譜#常陸風土記#文化#日本三代実録#日本書紀#日高見国#歴史書

日本には数多くの歴史書があります。『日本書紀』をはじめとした国史、個人の業績を記した多くの記録などさまざまです。そんな歴史書には、かつての福島についてどのように記述されているのでしょうか。今回は、その一端を少しだけ覗いてみたいと思います。

 

古代の福島はどのように記されている?

よく「歴史は権力者がつくる」ということがいわれますが、古代日本の中心は畿内や大陸に近い九州であって、歴史の舞台も自ずとこちらがメインです。東北地方は古代日本にとっては、完全に未開の土地ですので歴史的な記述もほとんどありません。『日本書紀』や『常陸風土記』などの記述では、「日高見国」と呼ばれていますが、その実態についての記述はほとんどありません。

福島県内についての具体的な歴史書の記述ということになると、その最初は『古事記』に記された「会津」についてのものが有名です。

大和三輪山の西麓に都を造り、統治を推し進めた第10代崇神天皇は、就任10年目に列島各地の攻略に乗り出します。山陰、西道、北陸、東海に軍を派兵、軍を率いる将軍たちは4つの道を進軍することから「四道将軍」と呼ばれました。北陸方面は天皇の叔父にあたる大彦命、東海方面はその息子で天皇の従兄弟になる武渟川別が将軍を務めそれぞれ進軍、この親子はついに東北の地で出会います。そして、その場所を「相津」と名付けたと『古事記』には記されています。

二人を祀る伊佐須美神社の存在や、会津地方で見つかっている亀ヶ森古墳、会津大塚山古墳は東北地方で有数の規模の前方後円墳で、時期も古墳時代前期とその記述との一致が見られることから、この頃には大和の影響下にあったようです。

第13代成務天皇(日本武尊の弟)の時代には、福島県及び宮城県の一部に国造が定められたと『先代旧事本記』「国造本記」には記されています。福島県内では南から浜通り(石城国)に菊多、石城、染羽、浮田、中通り(石背国)には白河、石背、阿尺、信夫の順になります。そして、南端の菊多と白河には、それぞれ「勿来の関」と「白河の関」が設けられました。また、北端の信夫は大和政権の最北端として、蝦夷と対峙する最前線となる重要拠点だったようです。

その後、大和政権が日本国になり、その支配領域を北へ拡大していくと、福島県内は最前線ではなくなっていきます。中央集権化によって本格的に律令制が推し進められると、陸奥国から浜通り側は石城国、中通りと会津地方は石背国として分離(後に再び統合)するなどしたことを見ると、福島県内はこの頃は完全に日本国の支配領域になっていたことが読み解けますね。

 

歴史書に残された福島災害の記録

古代日本の国史「六国史」の六冊目『日本三代実録』には、福島県内の災害の記録が残されています。貞観地震は、869年に発生した三陸沖を震源とした大地震で、東日本大震災と同じ様に大きな揺れと、地震に伴う津波が起こりました。その被害は甚大で、『日本三代実録』ではその様子を次のように伝えています。

「家屋の下敷きとなって死んだ者、地割れに呑まれた者がいた。家畜は逃げ出し、暴れまわり、城や倉庫、櫓などが多数崩れ落ちた。海鳴りが聞こえて潮が湧き上がると、川が逆流し、海嘯が長く連なって押し寄せた。内陸部まで果ても知れないほど水浸しとなり、野原も道も大海原となった。避難が間に合わず千人ほどが溺れ死に、後には田畑も財産も、ほとんど何も残らなかった」(『日本三代実録』より意訳)

津波の被害は、南は常陸国、北は蝦夷の暮らす地域にも出たといいます。この甚大な被害を重く見た朝廷は災害地に使者を派遣し、復興理念の表明と具体的な復興施策(被害者への支給、死者の埋葬、被災者の税金免除、孤独で自立できない者への手厚い救済など)を表明。また、被害者鎮魂のための御霊会などの儀式を行いました。これは、現在の京都・祇園祭の起源ともいわれています。

その750年後に起きた慶長三陸地震(1611年)も、同じく甚大な被害がでました。相馬中村藩主・相馬利胤の事跡を記した『利胤君御年譜』によると、相馬藩だけで700名以上の溺死者が出たといいます。仙台藩や盛岡藩はより被害が大きく、同様に被害状況が報告されています。また、被害はこれにとどまることなく、津波に浸った田畑は重篤な塩害を受けたとも伝えられています。

よく「歴史は繰り返す」ということがいわれますが、改めて考えると過去の教訓に学ぶことの大切さを実感します。東日本大震災後に、少し話題になったニュースで「太平洋側の歴史街道はほとんど浸水しなかった」というものがありましたが、これは過去の教訓に学んだいい例です。歴史書を先人の記録として読むだけでなく、現代への教訓として受け止めることも大事ですね。

 

まとめ 「歴史書」に記された福島県、その役割と意義、そして災害

歴史書を見ていくと福島県は、最初は辺境のイメージが強いですが、中央集権化が進むにつれて次第に同化していった様子がわかります。また、東日本大震災のような大災害の被害は、周期的にあったこともわかりました。このような記録を後世に伝えてくれる歴史書の価値を改めて感じます。

 

「歴史書」に記された福島県、その役割と意義、そして災害

・古代日本の福島エリアは文字通り「ディス・イズ・辺境」
・日本と同化していってからは蝦夷と対峙する最前線
・繰り返す災害を記録すること。その記録から学ぶことは大事!

ふかしま。
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ふかしま。編集部
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