福島が生んだ世界的版画家・斎藤清ってどんな人物?

2021.01.26
歴史 #「ミルク」#『会津の冬』#やないづ町立斎藤清美術館#斎藤清#歴史人物#猫

会津出身の芸術家・斎藤清を知っていますか。世界的版画家で海外を含め数々の賞を受賞、日本の現代版画を世界に知らしめた人です。彼の作成した版画絵を見たことがあっても、生涯についてはなかなか詳しくない方も多いのではないでしょうか。今回は斎藤清について詳しくご紹介します。

 

独学で学んだ版画が初入選!どんな生涯だったの?

斎藤清は1907年に福島県河沼郡会津坂下町に生まれました。4歳のときに父親の仕事の関係で北海道へ移住します。幼い頃からイラストを書くことが好きな少年だったといいます。童謡を作って雑誌に投稿したりと創作活動もしていました。

看板屋に就職し24歳で上京、宣伝ポスターの仕事をしながら、独学で油絵の制作を始めます。1932年に第9回白日会展に油彩を出品し、初入選を果たしました。

そして1936年、29歳のとき偶然目にした安井曽太郎の木版画『正月娘姿』に衝撃を受けます。すぐに独学で木版画を学び制作を始めます。第5回日本版画協会展に、『子供座像』『少女』を初出品。初めての木版画でなんと入選を果たしました。それから斎藤は版画制作へとのめりこんでいったのです。ゴーギャンやムンクといった西洋近代絵画の要素と、日本の伝統文化である浮世絵の技法などを融合していき、独自の表現方法を模索していきます。

1949年目白で開催された第1回サロン・ド・プランタン展に木版画『ミルク』を出品しトップ賞を受賞します。1951年44歳のとき、ブラジルで開かれた第1回サンパウロ・ビエンナーレ展に『凝視 (花)』を出品、在サンパウロ日本人賞を受賞しました。これは戦後の日本人初の国際展受賞でした。

1952年ニューヨークで初の個展を開催。研ぎ澄まされた形と色彩の鮮やかさで世界を魅了していきます。海外との交流を深まるにつれて、斎藤は改めて日本を見直します。京都や奈良の風景、そして故郷会津。斎藤は風景のなかで陰影を効果的に使い、より作品を深めていきます。

先に海外での評価が高かった斎藤の作品に、日本国内も次第にその素晴らしさに気づいていきます。その後国内でも数々の賞を受賞し、1981年秋の叙勲で勲四等瑞宝章を、1995年に文化功労者の栄誉を受けました。そして1997年、故郷の会津で90歳で亡くなりました。

 

本当の美を求め描き続けた「会津の冬」

斎藤にとって大切なモチーフがあります。人気がある「猫」でしょうか?いいえ、それは「会津」です。連作である『会津の冬』はなんと全115作。しかし会津に住んだのは4歳までと、そして80歳から没するまでの計約14年間です。住んでいなかった時期の方が長い故郷を、斎藤は描き続けました。しんしんと降り積もる雪で真っ白になった会津の町は、京都の龍安寺石庭のような究極の単純化が生み出す美であると捉えたようです。後年は特に、初期のカラフルな作風とは相対するような、白と黒のシンプルな作風をつきつめて会津を描き続けていきました。

「やないづ町立斎藤清美術館」は彼が亡くなった1997年に開館しました。斎藤の作品のおよそ90点を展示しています。会津の風景はもちろん、動物や京都や鎌倉といった古都を描いた作品など時代ごとに分かりやすく展示され、斎藤の足跡をたどることができます。

近くには圓蔵寺や柳津温泉などもあるので、観光の際に立ち寄りやすいところにあります。
また、福島県福島市飯坂町にある「ギャラリー梟」でも斎藤清の常設展示をしています。飯坂町は飯坂温泉の温泉街。こちらも観光の合間に立ち寄りやすいと思いますので、近くに遊びに行った際はぜひ立ち寄ってみてください。

 

名称  :やないづ町立斎藤清美術館
住所  :福島県河沼郡柳津町下平乙187
開館時間:9:00~16:30
休館日 :月曜(月曜日が祝日の場合はその翌日)、年末年始(12月29日~1月3日)

 

まとめ 「斎藤清」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

一枚の絵に衝撃を受け、独学で版画を学び世界的に評価された斎藤清。彼の作品は後の日本版画に大きな影響を与えました。その作品には故郷会津への思いがこめられたものがたくさんあります。ぜひ福島に足を運んで斎藤清の作品を直接見てみてください。

 

「斎藤清」の歴史、文化的な価値、魅力

・斎藤清は独学で学んだ版画が世界的評価を得た版画界の大家である。
・出身と終の棲家は会津で、会津の冬の景色を描き続けた。

 

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ふかしま。編集部
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