福島県在住の芥川賞作家はお坊さん!玄侑宗久ってどんな人?

2021.01.26
歴史 #中陰の花#歴史人物#玄侑宗久#芥川賞受賞作家#菩提寺

芥川賞作家として有名な玄侑宗久さん。死生観や仏教を題材に多くの著作を執筆されています。けれど、ちょっと変わった名前だと思いませんか?ペンネームでしょうか?いえいえ、実は彼は現役の僧侶、お坊さんなのです。意外な職業ですよね。僧侶であり作家である、玄侑宗久。いったいどんな人なのでしょうか。

 

「死」を意識した学生時代、作家になりたかった20代

1956年、玄侑宗久は田村郡三春町にある福聚寺の長男として生まれました。福聚寺は臨済宗妙心寺派のお寺で、戦国時代の三春城主であった田村氏の菩提寺です。こちらにある枝垂れ桜はかなりの巨木で、毎年春になると鮮やかな花を見事に咲かせることで有名です。
少年時代はわんぱくだったと言います。しかし10代の頃には仏教以外にも、モルモン教や天理教など様々な宗教に触れ「死」について考えるようになります。人生観を変えた大きなきっかけとなった出来事は、中学生のときに起こりました。中学3年生のときに日本脳炎にかかり、3日間の昏睡状態に陥ってしまったのです。生死の境をさまよった経験は、のちに作家として作品を書くときに大きく影響していきました。
高校生になると、幅広いジャンルの本を読むようになります。そして童話や詩を書き始め、作家になりたいと思うようになっていきました。18歳で上京し、慶應義塾大学文学科に進学します。いろんな職業を経験したいと思い、なんと学生であることを隠して様々なところで働きます。コピーライターやゴミ焼却場、ナイトクラブなどまさに多種多様。合間に執筆を続け、文学賞に応募をしていました。しかし一向に芽は出ず、どうにもならない日々が続いていました。

 

芥川賞を受賞!そして震災を通じて「心の平穏」を書く

父と約束していた27歳になっても、作家としてデビューする夢は叶いませんでした。そこで寺の長男として、そして作家になるために「宗教の本質」を知らなければならないと感じ、修行に出ることを決意。京都嵐山の寺に入門し、3年間修行します。その後帰郷し、1988年に福聚寺の副住職に就任しました。その間も作家になる夢を諦めきれず、こつこつと執筆を続けます。そして2000年に投稿した『水の舳先』が雑誌新潮に掲載され、芥川賞の候補となりました。そのときは落選しますが、翌年の2001年、『中陰の花』が第125回芥川賞を受賞します。受賞作のテーマは「生と死」。中学のとき死に直面した経験や、僧侶としての経験があったからこそ生まれた作品です。2008年に住職に就任してからも積極的に執筆活動を続けています。
そして2011年、東日本大震災と原発事故に遭遇します。復興のために尽力し、東日本大震災復興構想会議委員に選出されます。また被災した青少年支援のための「たまきはる福島基金」の理事長にも就任。作家としても震災に触れた著書も多数出版されています。
作風は僧侶の視点を使って、死を見つめ直したり、仏の教えを紹介しているものも多数あります。禅の思想、無常観といった一般のひとには一見難しく思えるような考えを、分かりやすく教えてくれています。あわただしい現代社会のなかでどうやって心の平穏を保つか、死ぬとはどういうことか…作品を読むと新たな考えや視点に気づかされます。

 

まとめ 「玄侑宗久」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

いつどこで起こるのか誰も分からない天災。また避けることは絶対にできない「死」とどう向き合うかは、現代人が誰もが悩む問題です。玄侑宗久は生きていく上での悩みを、僧侶ならではの視点や表現で解決案を提示してくれます。普段の生活のなかで、心の在り方を改めて考えてみるきっかけになります。また震災を風化させないために尽力している玄侑宗久。彼の著作を読んで、福島に思いを馳せてみてください。

 

「玄侑宗久」の歴史、文化的な価値、魅力

・福島出身、在住の僧侶であり、芥川賞受賞作家。
・震災と原発事故を福島で経験し、世の無常を改めて感じ、復興と風化防止に尽力。
・僧侶業のかたわら積極的に執筆活動を行う。僧侶ならではの視点で仏教の教えを分かりやすく伝えている。

ふかしま。
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ふかしま。編集部
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