芭蕉も緊張? みちのくの玄関口「白河の関」が聖地と呼ばれる理由

2021.01.26
歴史 #史跡#奥州古三関#松尾芭蕉#白河の関#聖地

東北の玄関口として今も名高い白河の関。かつては大和政権と蝦夷の国境で、防衛施設としての役割を持っていましたが、近年までどこにあったのか正確な場所はわかっていませんでした。しかし、白河の関は今も昔も特別な場所として人々に記憶されてきました。その理由とは一体?

 

東北の玄関口「白河の関」の役割と歴史とは

広大な関東平野を抜けて、みちのくに入っていく。そんな坂道の中程に、東北の玄関口と呼ばれる白河の関はあったといいます。いつ頃できたのか正確な記録は残されていませんが、平安中期の行政文書に「400年前にはあった」という記述が残されていますので、大和政権の勢力範囲が関東まで広がっていった5世紀前半には存在したのではないかと考えられています。現在も、このエリアが関東地方と東北地方の境目とされていますので1600年以上、日本人は同じような感覚なのだと思うと面白いですね。

白河の関は、鼠ヶ関(山形県鶴岡市)、勿来関(福島県いわき市など諸説有)と並んで奥州古三関として数えられます。当時、これより以北は大和政権の勢力圏外で、蝦夷と呼ばれる東北と民の領域だったと考えられています。その頃、これらの関を境にしてどの程度人々の交流や往来があったのかは定かではありませんが、関所としての役割というよりも防衛施設のような側面が強かったのかもしれません。

その後、大和政権が日本となっていくなかで、その勢力範囲を北に広げていくと、白河の関の役割も変わっていったことでしょう。最早、国境ではなくなった白河の関は、防衛施設としての意味を失っていき、往来を取り締まる関所としての役割を果たしていたと考えられます。

平安末期には、奥州藤原氏を頼って鞍馬山を抜け出した源義経が、金売り吉次に案内されて通ったという伝説もあります。白河の関の少し西側には「金売り吉次の墓」が残されています。また、「庄司戻しの桜」「矢立の松」「旗立の桜」といった周辺スポットには、兄・源頼朝の旗揚げを聞いた義経が、そのもとに駆けつける際に戦勝祈願を行ったという逸話が残されています。

奥州藤原氏が頼朝によって滅ぼされると、白河の関はその役割を終えて廃止されていたといわれます。そしてその後、白河の関の存在は人々の記憶から忘れ去られ、その所在地もわからなくなっていきます。現在、白河の関に建てられている古蹟跡碑は、1800年に白河藩主だった松平定信が文献から考証を行い、「白河神社のもとにあった」という説を元にして建てられました。その後、1960年代に発掘調査が行われ、堀や古代の防御施設が見つかったことから、正式に国の史跡に指定されました。

 

白河の関は、なぜ和歌の聖地になったのか?

平安期には関所としての機能はすでに失われていたともいわれる白河の関ですが、平安中期頃に突然人気のスポットになります。その理由は、平兼盛や能因法師といった著名な歌人によって歌に読まれたからでした。人が行き交う関所というのは出会いと別れ、旅立ちなど歌のモチーフとしてどこも人気のスポットですが、白河の関の関もその例外ではなかったということですね。

その後は、「白河の関といえば歌」といった感じで、西行ほか数多の歌人たちがこの場所を舞台に歌を読んでいます。源頼朝が、奥州藤原征伐の際に白河の関を通ったときには、部下の梶原景季に対して「なにか詠め」と命じるくらいですから、それほど定番のスポットだったともいえそうです。

そんな気持ちは、江戸時代の歌人、松尾芭蕉にもあったようです。史上の著名な歌人たちが歌を残した白河の関にたどり着き、感慨もひとしおだったでしょう。江戸から旅をしてきた芭蕉は、みちのくの玄関口である白河にたどり着いて、ようやく「旅心が定まった」と『おくのほそ道』に記しています。「これよりみちのく」というのはもちろんですが、今後続いていく長い旅路や、歌人としての心構えといった気構えができあがったということだったのでしょう。

現在、白河関跡と白河神社エリアには、『おくのほそ道』の碑のほか、平兼盛、能因法師、梶原景季が詠んだ歌の古歌碑が残されています。過去の偉大な歌人たちにあやかって、ここで一首詠んでみるのは一つの楽しみになるかもしれませんね。

 

まとめ 「白河の関」の役割と歴史、文化的な価値、魅力とは?

東北の玄関口といわれる白河の関は、古代には国境防御施設としての重要な役割を担い、時代の流れとともにその役割を終えた歴史がありました。ただ、その役割を終えると今度は「歌の聖地」として再注目され、多くの人々が訪れるようになりました。白河の関を通った著名な偉人、そして名もなき庶民の姿に思いを馳せると感慨深いものがありますね。

 

「白河の関」の歴史、文化的な価値、魅力

・国境の防衛施設として大和政権によって建てられた奥州古三関のひとつ
・著名な歌人たちの歌に詠まれることで、歌の聖地に
・今も変わらず、東北の玄関口。その代名詞

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