1000円札の顔は福島県を代表する偉人だった!野口英世ってどんなひと?

2021.01.26
歴史 #北里柴三郎#坪内逍遥#歴史人物#野口英世#黄熱病

医学の世界に大きな功績を残した日本を代表する医学者、野口英世。1000円札の顔としてもおなじみで、誰もが知る人物です。そんな彼は実は福島出身なんです。でもいったいどんな功績や偉業があるのか、ちゃんと知っていますか?改めて聞かれると、すぐには答えられない方もいるかもしれません。今回は野口英世がどんな人物だったのか、改めて知っていきましょう。

 

子どものころの火傷がコンプレックス…しかし後に医者になろうとするきっかけに

野口英世は1876年に福島県三ツ和村三城潟、現在の猪苗代町で生まれました。猪苗代湖の湖畔にはいまでも生家が残っています。家は代々農家で、清作と名付けられた彼が生まれた時は大変貧しかったといいます。

清作1歳半のとき、ある事件が起こります。清作は誤って囲炉裏に落ちてしまい、左手に大火傷を負ってしまったのです。傷跡はこぶのようになり、左手はやっと物がつかめるほどしか動きませんでした。この左手の怪我は、彼の人生に大きな影響を与えました。

清作は小学校に入学しますが、新しい教科書を買うこともできないほど家は貧しくなっていました。左手が動かないことのハンデもありましたが、清作は体を鍛え一生懸命に勉強し、抜群の成績を修めます。卒業間近の12歳のとき、彼は生涯の恩師となる小林栄に出会います。清作の才能を見抜いた小林は、高等科への進学を勧めます。小林はお金がなかった野口家を援助し、清作は小林のおかげで進学することができました。清作はますます勉強に励み、4年間ずっと首席でした。

15歳のとき、清作に転機が訪れます。友人や先生たちが左手の手術費用のための募金を行ってくれたのです。お金は集まり、清作は会津若松市にある病院で手術を受けることができました。手術は成功!不自由ながらも指が動かせるようになりました。清作は医学の素晴らしさに感動します。このときの手術がきっかけで将来は医者になろうと志すようになりました。

清作は猛勉強をします。独学で英語、フランス語、ドイツ語も学び上京。医術開業前期試験に見事合格します。その後高山歯科医学院の学僕となり、血脇守之助の援助を受けながら後期試験も合格。普通なら合格まで何年もかかる試験を1年で突破し、弱冠20歳という若さで医師免許を取得したのです。

 

細菌研究の道へ!黄熱病のワクチン開発に成功!

医師免許を取得した清作は、しかし開業医の道ではなく学者の道を選びました。開業資金がなかったことや、左手を患者に見られることにコンプレックスを感じていたのです。清作は当時研究が進んできた細菌学に興味を持ち、研究にいそしんでいきました。

そんな1898年、清作はとある本を手に取ります。それは坪内逍遥の小説『当世書生気質』でした。野々口精作という医学生が自堕落な生活を送っているという物語で、清作は自分と良く似た名前のこの登場人物に衝撃を受けます。というのも、実は清作自身も借金を重ねていて遊郭で遊びまくるという癖があり、周りから呆れられる一面があったから。自分がモデルと思われないか、不安になった清作は小林に相談します。すると小林は「世にすぐれたひと」という意味の「英世」の名をつけてくれました。ここから清作は英世と名乗り始めるのです。

その年の4月、北里柴三郎が所長をつとめる伝染病研究所で働き始めます。英世は語学力も高く評価されて、北里の紹介で1900年についにアメリカに渡ります。ペンシルベニア大学で助手として働き、どんどん頭角をあらわしていきます。デンマークの国立血清研究所に留学し血清学も学んでいきます。デンマークからアメリカに戻ると、ロックフェラー医学研究所の所長、フレキスナー博士の助手として迎えられことに。いよいよ本格的な研究に没頭していきました。それは「ノグチはいつ寝ているんだ?」と言われるほどで、論文も多数発表。すでにこの頃ノーベル賞の有力候補に名を連ねていました。34歳のときには、アメリカ人のメリー・ダージスと結婚。優しくおおらかな奥さんだったといいます。

1917年、当時中南米に猛威をふるっていた黄熱病の病原体発見のための計画が持ち上がります。英世は率先して計画に参加し、翌年自らエクアドルに赴任します。黄熱病との闘いが始まったのです。次々に研究成果をあげ、ついに病原体を発見。ワクチンの開発に成功します。

しかし黄熱病はメキシコやブラジルなどどんどん流行を広げていました。その原因を探るため、1927年アフリカへ。ガーナで研究を続けていましたが、なんと英世自身が黄熱病にかかってしまいます。懸命な治療をするも、その甲斐なく1928年に亡くなってしまいます。51歳という若さでした。

幼い頃の火傷を治してもらったことで医学に目覚め、勉強に励んだ野口英世。貧しくても、また逆境にあっても信念を持って勉強や研究に取り組みました。その姿はまさに学者の鑑と言えるでしょう。

 

まとめ 「野口英世」の歴史、文化的な価値、魅力とは?

感染症の蔓延は、まさに人類の脅威です。それは新型コロナウイルスの感染におびえる現代の私たちにとって実感を持ってうなづけることですよね。ワクチン開発や医療従事者の大切さが分かったコロナ禍で、野口英世は再注目されています。貧しかった福島での生活のときも、めげずに勉強に取り組んだ野口英世。福島には野口英世記念館もあり、その功績を改めて知ることができます。ぜひとも足を運んで彼のすごさや素晴らしさを感じてください。

 

「野口英世」の歴史、文化的な価値、魅力

・黄熱病のワクチンを開発し感染症の歴史、医学の進歩に大きく貢献した。
・逆境にめげず、勉強や研究に打ち込んだ学者の鑑である。
・福島を代表する偉人となり、地元からも愛され尊敬され続けている。

ふかしま。
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